公明都議が公然熱烈キス
週刊文春2017/06/22のワイド特集『「昼顔」と「夜顔」』の『公明党議員が創価学会婦人部熟女と熱烈キス写真』という記事のツッコミが足りない。
公明都議で3人の子持ちの古城将夫君(37)が、貸切でもない寿司屋のカウンターで、熱烈キスをした。お相手は創価学会婦人部の72歳のごれい人。
もしかしたらお年のせいで欲棒の制御が効かなくなったのかもしれない、72歳のごれい人からキスを求められので、舌だけの話で、まあ、大したことではないようだ。
だが、世界に目を広げるとフランスにはマクロンという25歳年上の女性と略奪(?)結婚した政治家がいる。文春もこれと絡めるぐらいの芸を見せて欲しかった。
古城ちゃんは マカのん でいなかったのかな?
池上彰 教育勅語には文法間違いがある?!
週刊文春2017/03/30の『そこからですか!?』で池上彰は、教育勅語の「一旦緩急アレハ」
は文法上間違いだとしている。
池上は、「一旦緩急アレハ」を「もしも国家に危機のあるときは」という仮定文と解釈し、議論を進めている。
そして、
1. 当時の文法だと、仮定法は「未然形+バ]が正しく、「アレハ」ではなく「アラハ」である。
2. 「「一旦緩急あれば」となると、「危機は必ず来るから、その時には」という意味になってしまう」とダメ出ししている。
さて、ここで教育勅語使われ方を考えてみよう。
教育勅語は誰が教えるのか?
先生だ。中には文法に詳しい先生もいるだろう。
どこで教えるのか?
学校だ。小生意気な学童はミスをあげつらうのが好きだ。(実際、『気になったことをメモるメモ帳』様*1。井上はWikipediaによれば熊本藩校の秀才で文部大臣等を歴任したし、元田は儒学者で宮中顧問官になった人であり、共に無学では無い。わざわざ「ラ→レ」と直しているので、単純な文法間違いではない。
更に、上記『「教育勅語」に 文法の誤り?』には「アレハ」は「已然形+バ」で、「已然形+バ」は、通常[~なので]という確定条件を意味するが、[~するといつも、~するときは必ず]という恒常条件の用法もあると書かれている。文中には「瓜食めば子ども思ほゆ」(万葉集)などの例が挙げられている。つまり、「先んずれば人を制す」「2に2を足せば4になる」「風が吹けば桶屋が儲かる」といった用法なのだろう。
そうそう、「池上に間違いあれば、これを正さん」(池上には必ず間違えがあるのでそれらを訂正しよう)という例が良いかな(笑)。
(恒常条件は耳慣れない用語だが、検索してみると学研全訳古語辞典などにも記載があり、入試にも出るようだ。)
続いて、解釈上の疑問点だ。
池上は「もしも国家に危機のあるときは」と現代語訳している。私にもこの訳は、正しいと思えた。
だが、「国家」はどこから湧いて出たのだ?
勅語の徳目は父母、兄弟、夫婦、朋友と身近なことを題材にしている。とすると緩急は国家の緩急ではなく、(主に)身近なしょっちゅうおきる緩急だという解釈も成り立つ。
つまり、火事(銀座は防火を目的として煉瓦造りになったことを想起しよう)、地震(予見したとは思わないが、翌明治24年には死者行方不明者7273人の濃尾地震が起きた)、ひったくり、スリ、痴漢(当時はいなかったかも)を見たら「義勇を公に」しろと言っているのだと、私は考える。
私は無学だということを断っておく。「一旦緩急」は国家の緩急を指すことが決まり事なのかもしれない。だが、国家の危機だとしても池上の論難には弱点がある。
教育勅語が出されたのは明治23年(1890年)だ。時代背景を見てみると、幕府が転覆してから20年後。西南戦争は明治10年だ。動乱の記憶は鮮やかだろう。
更に、清は軍艦鎮遠定遠等を以って我国を脅し、あまつさえ明治19年には、清国水兵500が長崎で日本人の運命はこうなるとデモンストレーションしてみせてくれた(長崎事件)。
日本の脇腹に突きつけられた匕首朝鮮ではロシアと清が覇権を競っていた。日清戦争は明治27年だ。
このような時代背景からすれば、池上がダメ出しした解釈(国家存亡の)「危機は必ず来るから、その時には」は少しも駄目ではなく、活きているのだ。
池上の文春コラムの原稿料は知らないが、きっと、十分な時間をかけられるほどではないのだろう。だが、(日本国憲法以外の)公文書は推敲されるという常識があれば、このコラムのような内容にはならなかったはずだ。
(文中敬称一部略)
*ショックなのは『お言葉ですが・・・』の高島俊男さんまでが、「アレハ」を文法間違いとしていたこと。
逆に忖度は無かったことを証明「書いているなら発言は有った」
加計文書を問題とするには幾つかの証明が必要だ。
1. 文書が本当に存在する
2. 文書は偽造ではない
3. 「官邸の最高レベル」などの発言が本当にあった
4. それらの発言が加計学園についてのものだった(「戦略特区を推進することは官邸トップレベルの意向です」では不充分)
5. 総理や官房長官が「加計学園の為に特区を早く成立させろ」というような指示を発言者に出した
6. 「官邸の最高レベル」などの発言が意志決定過程に影響した
(最初に以降の議論は無駄となる重要な断りをしておく。高橋洋一氏は、文書が書かれる前に特区は決定していた、文書は省内向けの言訳でしょ、と言っておられる、端から文書は問題にするに値しないとしている。)
2017/06/15に文科省が発表した調査内容では上記条件を全て満たしたとは言えない。
発表では「官邸の最高レベル」という文言を書いたとされる課長補佐の発言
A.「個人のメモだろうと考えている」
B. 「細部まで覚えていないものの、ここにこういうふう(ママ)記述ある以上は、えー、こうした趣旨の発言があったものだということだ。但し、その真意は分らない」
が公表された。B.については「総理の意向」という文言についても同じことが述べられた。
書いてあるから有ったんだろうというのは、普通なら、妥当な推測だが、クラッキングにより改竄された可能性を見逃している。改竄された可能性については言及がなかった。また、自分が捏造したがそれを忘れてしまったという可能性もあるが、やはり、言及はなかった。
議論を進めるために改竄や捏造でないとしよう。
ところで、野球大会の決勝戦で決定打を忘れはしない。長く語り継がれるだろう。
意思決定において「官邸の最高レベル」が決定的な役割は果たしたのなら、それを覚えているだろう。覚えていないということは、「官邸の最高レベル」が常套句で「ああ、また言ってるよ」程度のもので、意思決定には関係が無かったことを示していると私は考える。
文章の発見場所もまた問題だ。最初の調査で担当部署にそういう文書が見つからなかったことも
「官邸の最高レベル」という発言があったかどうか疑問を産む。
文科省の意思決定プロセスについて私は無知なのだが、担当部署にそういう文章が無かったことは「官邸の最高レベル」という発言が無かったか、有ったとしても影響力を持たなかった証拠だと思う。
「どこかの国(の人)と違って」
関係がない文脈なのに、日本を貶めるめるために、「どこかの国と違って~している」と言い方をよく見る。
例えば週刊文春(2017/06//08)『池上彰のそこからですか!?』では、コミー前FBI長官の解任問題で特別捜査官が任命されたことについて、池上は「どこかの国の官僚のような忖度をしない人間がいるのがいるのがアメリカの強み」と書いている。池上はこの文に限らず「どこかの国(の人)と違って」を多用している。
そもそも、コミー自身が忖度の塊だと思う。恐らく、ヒラリーもトランプを直接コミーに捜査開始中止依頼はしていないだろう。が、コミーは、トランプに忖度してヒラリーの捜査をすると言い、次にヒラリーに忖度して「やーめた」と言った。まあ、只の脅しかもしれないけどね。でも、脅しだとすると、将来の大統領に今後の忖度を強要したとも言える。
池上が仄めかすように、日本には忖度しない官僚はいないのか?
例えば一色正春氏は当時の仙谷官房長官をはじめ民主党政権に忖度することなく、中共漁船の日本国権への体当たり攻撃の動画を公表した。
政治ともなると複雑で、忖度をする/しないを同時にする人がいた。当時の田中真紀子外相は日本人である拉致問被害者には忖度することなく、北朝鮮に忖度して金正男をリーリスしてしまった。
(文中一部敬称略)
偏差値28の大学だよ、一橋は>KSMさん
KSM様が百田尚樹さんの一橋大学で予定されていた講演会がパヨクに圧殺されたことに怒っておられ、「レベルが低くなったあ一橋ってえのこれ。バカになりましたね一橋大学」と慨嘆されておられました(https://www.youtube.com/watch?v=ixROlShCgZc 36:45ごろ)。
ねえねえ、KSMさん、一橋には奥田愛基がいるんですよ、推して知るべしでしょ。
池上彰の教育勅語批判におけるズル
週刊文春2017/03/30の『そこからですか!?』で池上彰は、
戦前は教育勅語があったから道徳観念に優れていたということは誤解だ、
と言っている。その例として、戦前は親殺し子殺しが横行していたし、殺人事件の比率は現代よりはるかに高かったと書いている。そして『「教育勅語があったから」という論理はデータの前に通用しません』と結論づけている。
だが、そうなのか?
池上は道徳の例として殺人を挙げている。道徳は殺人だけなのか?勿論違う。例えば交通道徳もある。教育勅語が教えられていた戦前だと交通事故は圧倒的に少なかったのだ。
賢い皆様は上記の交通事故原因の欺瞞に気付いたと思う。そう、車の台数の方が道徳教育よりはるかに大きい影響力を持つ。
殺人における道徳より強い影響力はなんなのか?
私は豊かさもその一つだと思う。
池上彰様ともなれば「衣食足りて礼節を知る」という言葉をは当然知っていよう。もっと下賎な「金持ち喧嘩せず」も。知っていて読者をミスリードするような文を書くのなら、ジャーナリストではなくデマゴーグだ。
更に、池上はデータの比較でズルをしている。データの比較は同じ条件で取られたデータでなければ意味がない。北海道の複数の男子高校と沖縄の複数の女子高校の水泳の速さ比較して北海道の方が速かったとしよう。このことから、あなたが池上彰でない限り、「寒い地域の方が速く泳ぐ、きっと水が冷たいから早くプールから上がりたいからだろう」という結論は出さない。
(閑話休題)
それに、データから見ても池上ちゃんの主張にはおかしな点があるよ(笑)。
(『昭和51年版 犯罪白書 第1編/第2章/第1節』https://www.google.co.jp/#q=殺人事件%E3%80%80推移+戦前
より引用。グラフは人口補正をされていない)
昭和7~30年を見るとV字を描いてる。昭和7、8年ごろをビークに20年に向かって下落している。これは教育勅語が浸透した効果ではないのか(笑)。
その証拠に教育勅語の箍が外れた20年以降は急増しているでしょ!(笑)。
この急増の原因には朝鮮人、朝鮮戦争難民、米兵、共産党のテロなども考えられる。
戦前、殺人件数が減った原因の一つとして壮年男子が徴兵されたこともあるだろう。
昭和29、30年以降の減少の原因の一つには北朝鮮人に対する帰国事業や朝鮮戦争難民が帰国したこともあるだろう。
前に私は豊かさが殺人に影響力を持つと書いた。ちなみに経済白書が「もはや戦後ではない」と書いたのは昭和31年である。
(文中敬称一部略)
ジェンダー学の欺瞞
偉そうなポストモダンの学者は数学用語を多用した。だが、彼らは数学用語の意味を理解していないのだ。そのデタラメぶりに腹を立てたアラン ソーカルはポストモダン用語と数学用語が溢れるれるけど無意味な論文をでっち上げ学術雑誌に投稿し、まんまと掲載させた。これによりポストモダンの言説が空虚であることを示した。
(この顛末は『「知」の欺瞞』(アラン ソーカル、ジャン ブリクモン 岩波書店 2000)として刊行された)
ジェンダー学も妙な学問である。ピーター ボグホシア教授とジェームズ リンゼイ(ポートランド州立大学)は『社会構築物としての概念的ペニス』とかいう論文をでっち上げ、学術誌Cogent Social Scienceへ投稿したら、採用されてしまったのだ。
Cogent Social Scienceにとって悪いことに同誌は査読付きだった。つまり、それなりのジェンダー「学者」とみなされる数名の「学者」 がこの訳のわからない(らしい)論文には大きな価値があると判定してしまったのだ。
さあ、ジェンダーがどうのこうの言う小うるさいヒトには「社会構築物としての概念的ペニス」と呟いてみよう。黙り込んだらしめたたもの。その人とは付き合いを深めよう。