水道橋博士「総選挙だ、総理の座が空席だ!!」だが、緊急事態の心配はしない間抜けさ

 

紀貫之土佐日記は公開を意識して書かれた初めての日記とも言われている。それまでの平安時代の貴族の日記はプライベートのもので、藤原道長など上司を罵倒する本音など、他聞をはばかる駄文が書かれていた。多分、水道橋博士クンのdiaryには、このような気遣いはされてない。

 

週刊文春2017/10/19『週刊藝人春秋 Diary』によると、水道橋莫迦士クンは安倍首相と随分前に2回(彼の意識では、2回「も」)会ってインタビューした。その時の様子の記述から、どうやら、水道橋墓土クンは一目も置いてもらえず、反目を貰ってしまったようだ。今年、あるパーティで吸怒端クンは安倍首相を見かけた。「総理の視野にはボクも入っていたはずだが、目礼すらなく」と歯牙にもかけられなかった彼は憤っている。けれど、白痴クンは自分からお辞儀してはいないようだ。そもそも、墓誌クンは自分は首相に記憶されて当然の逸物なのだと、「「総裁の椅子」」に座らせてもらって自己評価を誤ってしまったのか、中間(ちゅうげん)小者としての分をわきまえない勘違いをしている。

 

2003年の2回目インタビューで彼は「「総裁の椅子」」に座らせてもらった。その後、『華氏911』に話題を振ふった。莫迦士クン界隈ではこれを「日本の政治家にすら「踏み絵」」にしていた。安倍幹事長(当時)は観ていなかった。

「突然」「“スイッチ”が入っ」てしまった「一介のチビ漫才」家はしつこく『華氏911』にこだわり、安倍さんに噛み付いた。安倍さんは、マイケル ムーアはアメリカンドリームは無くなったというけれど、大金持ちになったムーアこそアメリカンドリームの体現者だ、という旨の返事をした。

「一介のチビ漫才」家は「このおちょくった言い方に対して」「引っかかった」。「未見にもかかわらず作品批判をする一方、どこかで聞いた風な監督批判までまくし立てたからだ」。

安倍さんは作品批評をしていない。白痴クンの文を読めば分かる。なのに白紙クンは「未見にもかかわらず作品批判をする」と書いている。おいおい。

ムーアの作品をメタ分析するとフェイクがあると分かっている。さらに、メタ分析から安倍さんのムーアへの皮肉となる引用に正当性があることも分かっているのだ。

 

 

週刊文春2017/10/19『週刊藝人春秋 Diary』の末尾は

「今まさに、解散総選挙で空席に房った「総理の椅子」――。

  その座り心地をボクは想い出した。」

 

この「総理の椅子」とは何を指すのか?だ。

Diaryによれば博士クンは総理の椅子に座ったことはない。自民党の総裁の椅子に2度座っただけだ。「総理の椅子」とカッコをつけることで、総理の椅子ではないよと示唆しているのかもしれない。だが総裁の椅子は解散があつたからといって空席にはならない。また、引退した谷垣元総裁や河野傭兵と揶揄される河野元総裁も総理にはなれなかったのだ。だから、

総裁の椅子=総理の椅子

でもない。

白痴クンのことだから、上記は些細な事として、総裁の椅子=総理の椅子と考えているのかもしれない。だが、そうだとすると、またひとつ問題が出てくる。総理の椅子が空席なら、行政権はどうなるのか?だ。具体的に言うと、北朝鮮のミサイルが飛んできたり、災害などの緊急事態が起きたらどうするのだ?だ。

これは今回の解散でパヨクが問題にし、結論がでている。喧嘩で600万円の示談金を払った薄識クンは憲法より拳法なのかもしれない。健忘されてしまった71条で首相の座は新しい首相が選任されるまで、空かないと定められている。

 

「今まさに、解散総選挙で空席に房った「総理の椅子」」と首相の座が空席になったと想いを巡らせたものの、

い出したのではなくい出したのは座り心地だけ。緊急事態の時どうなるのかという発想ができなかった薄識クンの限界が顕となってしまった。

 

こんな駄文、多分、他聞にしたくないよね。

 

(コンタクトレンズの買い忘れと在庫切れで字がよく見えません。変換ミスが多いと思います。どうぞお許しくださいませ。)