朝日 公職選挙法を忘れたふり『演説にヤジ・抗議だめ? 「聞く権利をふみにじる」「有権者による意思表示」 衆院選』

朝日新聞DIGITALは2017/10/18に『演説にヤジ・抗議だめ? 「聞く権利をふみにじる」「有権者による意思表示」 衆院選

(http://www.asahi.com/articles/DA3S13185064.html)

という記事を掲載した。

 

長くなるので記事の問題点を書いておく。

・普通の演説と、処罰がある公職選挙法の対象である選挙演説と混同させ、選挙妨害を擁護している。

・野次と、一括りにしている。峻別すべき、個人が思わず叫んでしまうバラバラな野次と、選挙妨害団の機器を使った統一された野次の違いを曖昧にして、妨害を擁護している。

・印象操作を行っている。

・反社会的犯罪者と言っても良い言論抑圧者の考えを記事の結論に持ってきている。

 

記事を見ていく。

最初は野次擁護派

小林良彰・慶大教授(政治学)は、「公選法に明確な基準がない以上、マイクを取り上げるなど物理的行為がなければ、選挙妨害とまでは言えないのではないか」とみる。

次に、やりすぎ野次批判派

「聴衆が演説内容を聞くことができなければ、選挙妨害に該当する可能性が高い」(岩渕美克・日大教授=選挙研究)との見方もある。

 

小林氏は政治学の学者とはいえ、野次は公職選挙法に違反するという判例に触れていないのは妙だ。何らかの意図はあるのか?

岩渕氏の見解は「見方もある」と紹介されている。「見方もある」という言い方で、やりすぎ野次批判派は少数派で変わり者だよと、朝日新聞様は、有り難くも示唆してくださっている。

次は、「右翼」が浅沼稲次郎社会党委員長を演説会で刺殺した事件だ。これは街頭演説では無かった。また、「右翼」としか書いてないが、犯人は17才だった。これも印象操作と言える。当時は、少年による殺人がピークを迎えていた

 

ここからは良識派の意見が続く。

政治コミュニケーション論が専門の逢坂巌・駒沢大准教授は『「演説を聞きたい人の権利はどうなるのか」と指摘する』。逢坂准教授は秋葉原の安倍首相演説の場で最前列に陣取っていたのに、後出の暴力選挙妨害団C.R.A.Cに押し出された経験を持つ。

次にマック赤坂さんの考え「秋葉原のようなコールは絶対にダメだ。民主主義の否定になる」、「私は相手が話している最中は絶対に声は上げない」を挙げている。

 

良識派の後は(プロ?)市民である爺さんの意見。さいたま市の武内暁爺さん(69)は

秋葉原での首相の演説に友人と駆けつけた」。

さすがは意識が高い埼玉都民。都議選は気になるのでしょうね。

彼は、なんでも反対野党の国会質疑を見て

「最近の国会答弁を見て、議論が成り立っていないと感じた」。

この爺さん、自分で「答弁」といっておきながら、国会は討論の場ではないことを理解していない。

「「ならば、直接民主主義の手法で、主権者が声で権利を行使する場所があっていい。」」

と相手の都合も身勝手な要求をし、勝手に選挙の街頭演説がその場だと決めつけた。

「「演説を聞いて欲しいなら『聞いてくれ』と言えばいい。それが対話だ」」

と不可思議な対話の定義している。また、街頭演説が対話の場ではないことを無視している。仮に『聞いてくれ』と言われても、この爺さん、黙るのか?

そもそも、どうやったらこんな爺さん、見つけられるんだ? 常習だから、見つけられたのだろう。

 

最後は、野間易通不法行為者(51)らの主張を載せる。野間易通不法行為者は暴力選挙妨害団C.R.A.Cのリーダーの一人だ。彼らは、彼らの意に沿わない言論をレイシスト、ナチなどとレッテル貼りをして言論抑圧をしている。

また、ヤクザがよくやるように刺青を見せて威圧し、仲間同士や、おとなしいデモに突入暴力沙汰を起こすことで「俺たちゃあよ、口だけじゃねえんだぜ」とアピールしている。

まず、彼の考え

「「そもそも街頭は異論が混じり合う場所。どう対応するかも含めて政治であり、政治家を判断する材料になるはずだ」」

で始まる。ここでも、選挙演説は特別であることを無視している。

次に、クリントン候補(当時)の集会でトランプ支持者が騒いだとき、オバマ前大統領が「「みんな静かに。私は真剣だ」「ブーイングをやめよう、投票しよう」と呼びかけた。」を挿入して印象作り。

そして、野間易通不法行為者の

「「市民が圧倒的な力を持つ権力者に向かって肉声で叫んでいるのに、『静かに聞くべきだ』なんて学校的道徳を持ち出してなぜ断罪できるのか」とも提起する」

と続く。

野間易通不法行為者の類は万能のキーワード「市民」をしばしば持ち出す。支持者が一人でも、「市民」というと多人数に聞こえる。

日本人で25才以上で公民権停止中でなければ、誰でも立候補できる。考えがあるなら、立候補しないのはなぜ?

支持者が一人だけの考えは異常な考えだ。そんなものを主張する輩はしばしば過激化する。

それに、はて、野間易通不法行為者らの妨害用兵器「圧倒的な力を持つ」大型拡声器は「肉声」なのか。

さらに言うのなら「圧倒的な力を持つ権力者」とは中共北朝鮮のような共産主義全体主義国家での権力者。政権交代が起きる日本には当てはまらない。

マスコミの情報操作で政権危うしと言われた安倍首相を「圧倒的な力を持つ権力者」とは、とても言えない。

 

締めはは、おそらく記事を書いた田玉恵美記者の考えを代弁するフリーライターの岩本太郎さんの

「「秋葉原のような『事件』を繰り返しながら、なんとなく答えが定まっていくのが社会というもの」

「「演説の聞き方に善悪の線引きができると考えること自体、怖いことだと思う」」。

 

岩本氏はあまりにも幼稚だ。まず、秋葉原のテレビなどの報道姿勢を無視している。マスコミの操作で世論形成がされてしまうことは「怖いことだと思」わないのか。

次に「演説の聞き方」と言っているが、本記事で問題になっているのは、聞き方ではない。邪魔の仕方だ。そもそも、妨害団は演説を聞こうとは考えていない。また、「「演説の聞き方に善悪の線引きができると考えること」」は公正な選挙の確保を無視している。岩本氏はなぜ公職選挙法があるのか未熟な政治的判断を捨て熟考すべきだ。