「安倍政権の気持ち悪さ伝えたい」の高橋純子を批評

朝日新聞の元政治部次長で社説も書いていた高橋純子(46)のインタビュー(

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/220001/6

)を読んだ。

 

高橋は

――筆を走らせ過ぎると、“新聞の中立性”に目くじらを立てる人もいそうです。

と言う問いに

中立って、真ん中に立つことでも、両論併記でもないはずで、各人が「正しい」と思うことを発信し、議論したりせめぎ合ったりする中でかたちづくられるものではないでしょうか。

と答えている。

 

報道には事実報道と意見報道があると考える。

朝日は自分の意見のみを載せ実質的に「議論したりせめぎ合ったりする」ことは無かった。

また、議論が成り立つためには前提となる事実が提出されねばならない。朝日はそれも怠っている。

 

高橋は

反日」「国賊」といった、国によりかかって異質な他者を排除するような言葉が世にあふれかえるようになりました。

と述べてその原因を

権力を持っている人たちの振る舞いが暗にそうした空気を社会につくり上げ、メディアの批判も届きにくい状況があるように思います」

としている。

この発言の「権力」がメディアを指すのなら、これは正しい。

 

例えば、朝日は朝鮮人売春婦を強制的に集めたと言う捏造を垂れ流し続けて、国益を損ねてきた。これらが「反日」「国賊」と言う言辞を生み出したのだ。

 

 

――そういえば、コラムでも〈安倍首相はつるんとしている。政治手法は強権的だが、相手と組み合うのではなく、ものすごいスピードで勝手にコロコロッと転がってゆく〉と書いてました。

 

「君子は豹変す」と言う諺を知らないのかな? ここで言う君子とは立派な人のことで、「君子は過ちをすみやかに改め,善に移ることがはっきりしている。」と言うことなのだが(笑)。

 

高橋「しかし、私が取材した政治学者は、1億総活躍について「あれは包摂ではなく動員だ」と指摘していました。

 

その政治学者の考えが正しいと言う根拠は?

それに「指摘」ではなく単なる「主張」だ。

 

――「1億総活躍」もそうですが、もともと軍国主義の歴史を背負った言葉を平気で使うところに、首相の姿勢が垣間見えます。

「1億」は軍国主義の歴史を背負っているのではなく、国難の歴史を背負っているのだ。

一億総白痴化」という大宅壮一氏の言葉もある。

 

外に出て活動することが活躍だとは私は考えない。だが「保育園落ちた 日本死ね!!」の人はそれが活躍だと考えている。そして「活躍」できないことを悔しがっている。

動員だと嫌がる人でも活動させる。「保育園落ちた 日本死ね!!」の人は動員されたとは思ってはいない。

アベノミクスのおかげで「活躍」の場の扉が広がったのだ。

 

高橋「包摂とは、社会的に弱い立場にある人々を一定の範囲に包み込むこと

 

「包摂」にそんな意味があるのかね?