憲法上日本に軍人はいないのにシビリアン コントロール 自衛隊日報問題
自衛隊が無いと言ってきた日報が実はあった問題で「文民統制(シビリアン コントロール)」が問題となり、ざっと見たところ、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞も見出しに使っている。産経は石破代議士と石原伸晃代議士の発言、毎日は野党の発言として扱っているが、朝日は地の文で使っている。
朝日毎日与野党議員の脳裏には暗黙的了解がある。自衛隊は軍隊であるという認識だ。
憲法第九条第二項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。」とある。自衛隊は合憲で戦力に当たらないというのが(少なくとも建前としての)公式見解だ。
文民に対する語は軍官になる。だが日本には軍は無い。よって軍官は存在しない。したがって一佐が総理大臣になっても何も問題がない。
例として適当では無いかもしれないが、警察庁長官は警官なのだ(警察法34条第3項)。長官は警視監から(正しい言葉では無いかもしれないが)昇進する。警視総監長と言った階級名は無いが、警官なのだ。
今は防衛省と格上げになってしまったが以前は防衛庁だった。防衛庁長官は国務大臣だったので、警察庁より格上だが。
(スーパー大辞林には
「シビリアンコントロール civilian control
政府の文民の指揮のもとに職業軍人である軍隊の最高指揮官が置かれなければならないという近代国家の原則。軍隊の政治への介入から民主政治を守るために唱えられる。文民統制。」
とあるが、説明にある「指揮」は統制の間違いだと考える。指揮に当たる英語はcommandだ。
文民が「指揮」すれば多くの場合戦争に負ける。昔読んだ本のうろ覚えなので間違ってたり、別の話とごっちゃになっている可能性は大いにあるがこんなエピソードがある。
大阪城天守閣に砲弾が飛び込んだ。震え上がった淀君があたりを見回すと兵が少ない。文民の淀君が母権を発揮して秀頼に「もっと兵を集めなさい」と指揮命令。西軍は兵を前方展開して防御していたのだが、秀頼は文民たる母の指揮に従って兵を後退。このため東軍は攻撃に便利な地点に進出でき、大阪城は落城してしまった。
文民が軍を指揮してはいけないというのは欧米のコンセンサスだと聞いた。淀君の立場に追い込まれた欧米の政治家が軍を指揮しないでいられるかは別問題だが。)