さもしい、浅ましい。宝塚市の中川智子市長 小池百合子

大相撲の巡業先、兵庫県宝塚市の市長中川智子(70)はさもしい女だ。

智子市長は、野次馬への注意「女性の方は土俵から下りてください」を悪用して開催日前日に、突然「私を土俵に上げろ」と言い出した。自分をアピールするため、少なくともそのように見える。さもしい。

 

この行動を見ると、このババア、管理者としてどうかなと思う。突発事態でもないのに前日になってスケジュールを変えろと言い出す。年をとると抑制力が弱くなる。これもその表れなのか。精神的失禁と言えるのかもしれない。

 

この女の行動原理、つまり、

機を見るに敏

思いつきでスケジュール無視

女を売り物にする。

 

誰かを思い出さないか?

 

そう、小池百合子都知事(65)だ。

小池女も機を見て都知事になって希望の党を立ち上げた。そして、思いつきで、豊洲とオリンピックを問題にして合意されていたスケジュールをめちゃくちゃにした。小池女もクリントン候補者の「ガラスの天井」をもじった。

智子市長も小池女並みの市政混乱を招いてはいないのだろうか。

 

 

この文では私は智子市長に「さもしい「人」」のように「人」を使わず「女」と「ハバア」を使っている。このババアが女をアピールしているからだ。そして馬齢を重ねた方には敬意を表すのが礼儀だからだ。なお、お写真を拝見する限りにおいてこのババアは丸顔だ。

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f:id:dangun:20180410001813p:plain(FEM-NEWS様より引用)

馬齢は馬に失礼というものだろう。豚齢というべきか。更に、なお。丸顔の人は攻撃性が高い傾向があるという(L.コルマン。増谷真(2008)。尚、それを否定する研究もあるが母集団の選び方に問題がある。何れにしても個体差は大きい)。

 

なお小池女の「女」は「朝顔に つるべ取られて もらい水」の作者を加賀千代「女」と呼ぶように敬称。

 

相撲と神事は関係が深い。土俵祭りという言葉を見てもそれは分かる。

 

神道では流れ出た血は穢れとされる。実際、C型肝炎感染経路を見れば、現代医学でもこの感覚は正しいと認めるだろう。相撲取りには擦り傷が多そうに見える。前の取り組みで流れた血が次の取り組みの力士の擦り傷に付着することもあり得る。運が悪ければC型肝炎に感染するかもしれない。

 

スポーツ選手で験を担ぐ人も多い。さほど荒っぽくない高校野球でもユニホームを洗わない選手がいた。格闘技でもある相撲は危険がつきものだ。怪我をすれば休場となり、勝ち星についてくる成果給は無くなる。血が流れ出る複雑骨折した人が使った土俵は、縁起が悪いとか験が悪いと感じるのは自然なことだと思う。穢れた土俵を塩をまいて清めようとすることは自然なことだ。

 

 

ここからは冗談。

 

半裸の荒っぽい下郎どもの前にまともな女性はノコノコと出ていくか?

たとい、年齢という鎧をまとっていたとしても。

 

半裸の下郎どもは無意識のうちに「この女こそ得め」と興奮し、いつもより相撲が荒っぽくなる。すると怪我が増えてしまう。こういう経験知は大切にした方が良い。

 

恵子市長は70で魅力0と多くの人は言うと思う。だが、マイノリティ尊重とセクシャリティ尊重の教義からすれば、フケ専の力士への配慮を智子市長は怠るべきではない。

 

女性の立場から見るとどうか。

半裸のたくましい男性達を前にして、その場は我慢できても、後刻バレれば評判を落とすような放埓な行動をとってしまうかもしれない。抑制力が衰えたお方は特に。智子市長は70といえども、若い男の目と鼻へのフェロモンシャワーを浴びて、若い男のホルモンシャワーが欲しいっっ!!とおぞましい媚態を示し、観客の興を削ぎかねない。何しろ抑制力が衰えているのだから。

そうそう、江戸時代の相撲取りは売春夫の役割も果たしていた。

 

 

冗談はここまでにして。

 

先に相撲は神道と関係が深いと書いた。経血は穢れという考えは今でも広く浸透している。例えば、女性がセックスを断る口実として「私、アレの日だから」がある。

 

智子市長は土井たか子チルドレンだそうだ。Wikipedia「忌み」によると、国家神道が、経血は穢れでないとした。土井たか子チルドレンが国家神道の教義に加担して良いものなのか(笑)。

 

ところで、宝塚市では条例か何かで女性イスラム教徒はスカーフを剥ぎ取る規制を施行しているのだろうか。

 

神道仏教系の慣習を無視しイスラムのそれは尊重する。ご立派なババアだ。