朝日 愛媛県加計記録の(間違った???)解釈

 

朝日新聞が報じた愛媛県の職員らと柳瀬首相秘書官と藤原豊地方創生推進室次長と面談した時の記録とされる文章に疑問がある。

 

県地域政策課長、今治市企画課長、加計学園事務局長らは内閣府と官邸へ出張した。面会は2015/04/02。文章の作成日もしくは提出日が04/13。

 

県の課長クラスが中央官庁へ陳情に行けば、首相秘書官や次長が会ってくれるものなのか。

当時の柳瀬首相秘書官は今では経済審議官。事務次官に次ぐNo.2だ。ということは3年前でも部長クラス以上だと思う。課長とは格が違う。名刺交換ぐらいはしたかもしれないが。自治体課長レベルの細かい話は担当者としたのではないか。

もっともエリート官僚は全知のスーパーマンなのかも。

(特区を初めとする地方創生は国の優先課題なので陳情に来る地方にサービスしているという情報(https://twitter.com/blue_kbx/status/983933160600686593)

もある。)

 

朝日新聞の取次店の社長が行けば販売局の局長に会えるのだろう、きっと。

 

次に日付。

面会は2015/04/02。作成日もしくは提出日は04/13。11日も間がある。役所に出勤したのが04/03としても10日もある。

愛媛県の旅費の精算はどうなっているのか知らないが、精算は速やかに行うものだ。旅費の精算には出張報告書が必要だと思うのだが。

 

愛媛県知事が、職員が口頭報告用の備忘録として書いた、と話した。

けれど、11日も経つと忘れてしまったり、記憶が曖昧になってしまったことも多い。

口頭報告は相手の隙間時間に合わせてさっさと行うものだ。11日後に口頭報告するとは思えない。あり得るとしたら、上司から「xxさん、内閣府の件、ちょっと教えて」と言われ、説明を始めたら上司に局長から長電話が入った、xxは自席に戻り記憶を新たにしてメモを作った、ぐらいのケースか。だが、その場合でも正式の出張報告書を持って行けば良いはず。

 

 

次に重要度を考えてみる。わざわざ愛媛県から課長クラスを含む3名、今治市から課長他1名の2名と業者(加計学園 局長(ここでも格の違いが見られる。県や市は課長なのに業者は局長だ))のチームを作って東京へ出張させ、中央官庁の部長級以上と会っている。チームの編成だけでも手間がかると思う。ということはそれだけ重要度があるということだ。3名も出しているのだから、箔をつけるためのお飾りとして県から人を出したのではない。その報告が11日後でも良いのか?

この点で興味深い指摘が文章にある。柳瀬首相秘書官の発言とされるものだ。

>いずれにしても、自治体がやらされモードではなく、死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件。

 

10日も間をあけて報告しているようでは、とても「死ぬほど実現したいという意識」があるようには見えない。

スーパー官吏は地方公務員のやる気の無さを見抜いて遠回りに叱ったのか(笑)。お気の毒にもこのお薬は効かず、11日も放置されてしまったが。

 

担当者は自分が手掛けている仕事を実現したいと願う時がある。映画「生きる」(監督:黒澤明 主演:志村喬 東宝 1952)の市役所の課長のように。

上が動かないことに業を煮やした担当者は自治体が「死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件」という文言を創作した?(笑)

 

以上を踏まえて次のステップに進む。

 

毎日新聞(https://mainichi.jp/articles/20180411/k00/00m/010/134000c

)によると

「職員が省庁に配ったのか。」という問いに

中村時広知事は、

「(国の)それぞれの関係部署にまたがる案件。複数の機関に熱意を伝えたり、説明に行ったりしないといけない。「4月の会議ではこんな状況になっているので、よろしく」という形で(メモを)使って置いてきた可能性は否定できない。」

と答えている。つまり、愛媛の熱心な人は「オラオラ、首相はこう言っているぞ。官邸や本省の部長級以上の人も動いているぞ」と交渉相手に忖度させようとしたのかもしれない。

ここで思い出すのが朝日新聞が昨年報じた文章。そう、あの都合の悪いところを影で隠した写真、牧野美穂高等教育局長専門教育課長補佐(33 当時)が作成したとも言われている文章だ。あの文章は「首相がこう言っているからしょうがないわよね」と言い訳の仕方を提案する文書だった。

これと重ね合わせると、双方とも「首相」「官邸」を錦の御旗として使おうとしているように見える。(「官邸」は正しくは「「官邸」の方から来ました」だが)

愛媛県の職員は「生きる」の志村喬演じる課長同様願いを叶えるため対内対外用に話を盛ったのか。

そこに牧野氏の助言があったのか、あるいは牧野氏が愛媛県から学んだのか。