AERA、レイシストだとカミングアウト

AERAは浅野裕見子を使って杉田水脈議員を観相「学」なるものを用いて分析した。

観相「学」なんて胡散臭いと浅野裕見子もAERAも認識しているようで、観相「学」者の姓名を曖昧にし、軽んじている。岡井浄幸と岡井浄光、二通りの書き方を記事中でしている。


岡井浄幸だか岡井浄光だかの分析は

「知性もある、頭もいい。けれど、人の情がわからない。多様な価値観が理解できない。人間という多様なものがわからない。」

「この人は政治家になるべきではなかったかもしれません。」

などネガティブなものがメイン。


また、次のような綺麗事を言っている。

「政治家は公の立場に立って、あらゆる人の事情や感情をくみとって、最善を尽くすために努力するのが仕事のはず。」

この言葉は野党の議員の耳には痛くひびく、彼らに感受性と良心があればだが。特に尾辻かな子の耳には。

尾辻は今回の杉田水脈騒動の火付け役だ。だが、尾辻は「あらゆる人」どころか、いわゆるLGBT界隈内の「多様な価値観が理解できない」人なのだ。



さて、骨相学というものが19世紀に流行り影響は20世紀にも残った。


骨相学は頭蓋骨を様々に測定して色々推測をする「学問」。これが利用されて黒人は知能が劣るとか人種差別の根拠とされた。


また、ロンブローゾは犯罪者の頭蓋骨は原始人類に近いと言い出した。



さて、浅野裕見子が記述する岡井浄幸だか岡井浄光の分析の一例を見てみよう。


「この人の眉毛は、眉頭から一気に上昇して、非常にきつい印象です。これは戦いの眉。攻撃的です。」


上記の文は下とどう違うのだろう?

「この人の肌は黒です。真っ黒です。これは戦いの肌色、攻撃的です。」


更に、「顔も同じです。右が吊り上がっているということは、左脳優先で動いているんです。

 知性もある、頭もいい。けれど、人の情がわからない。多様な価値観が理解できない。人間という多様なものがわからない。」と言う文もある。

上記からすると、「右が吊り上がっている」容貌を持つことで他から区別されるグループは「人間という多様なものがわからない」と決めつけています。これは肌の色で区別されるグループに対するものと同様、ヘイトスピーチに当たると考えます。

 


レスシズムと差別の理論的根拠となった骨相学と岡井浄幸だか岡井浄光だかの観相「学」とやらはどこが違うのか。



浅野裕見子は、そしてAERAレイシストであることをカミングアウトしたのだ。


ああ、AERAは朝日の女性記者の掃き溜めとなり、女性誌になってしまったと聞いたが、この記事の関連記事のリストを見たら納得した。


(文中敬称略)