翁長雄志と祟りと鎮魂
沖縄県知事だった翁長雄志が死んだ。
冥福を心から祈る。
私が彼の冥福を心から祈るのは鎮魂のためだ。
鎮魂とは何か?
キリスト教のレクイエムは鎮魂曲としばしば訳されるが、これは厳密には間違いだ。キリスト教には鎮魂という概念は無い(と思われるからだ)。
鎮魂とは、死者の魂を慰めて鎮めること。
次は、鎮めるとは何か?だ。
立秋は過ぎたが秋祭りにはちょっと早い。「村の鎮守のお祭りに」という歌詞がある。この鎮守の意味は「土着の神をしずめて,国・城・寺院・村落などを守護する神」(スーパー大辞林)。
古来の日本では悪人でも善人でも恨みを残して死んだ人が祟ると信じられた。(本当に悪人かどうかは兎も角)悪人が祟った例は平将門。善人の例は菅原道真。彼らの死後、災厄が起きると祟りではないかと人は恐れ、神社に祀った。
翁長本人が祟るかどうかは別として、次のような者は翁長を神格化して祟らせようとしている。
オウムの残党による麻原彰晃こと松本智津夫の神格化を恐る風潮がある。ならば、翁長の神格化も恐れなければならないはずだ。但し、翁長を神格化しようとする人は単に一時的に利用してすぐ使い捨てにする者共だ。さほど恐れる必要がないのかもしれない。