杉田水脈「生産性」論争は、リベラルLGBTサイドの負け

杉田水脈議員の『「LGBT」支援の度が過ぎる』(新潮45(2018/8号))という文には「「生産性」」という語があり、問題とされている

「リベラル」が加担したLGBTサイドは悪質だ。彼女らは杉田氏の文を誤読して、もしくは誤読した振りをして、次のようなデマを流している。

杉田水脈は「障害者には生きる価値が無い」と書いている。

その結果、同氏は誹謗中傷の嵐にさらされている。例えば、NHKのニュースウォッチ9(2018/08/03)は

桑子真帆「浅はか、ともいえる言葉に反発や嫌悪感を覚えた人は少なくないのではないでしょうか。」

有馬嘉男「一人一人の価値を数字で測るような考え方、受け入れることはできません。」

とお言葉を下された。

 

確か、東京医大は受験生の価値を得点という数字だけで評価しなかったこと、問題とされませんでしたか? > 有馬

殺人犯の価値は殺した人数で決まりますよね > 有馬

 

そもそも、この二人だって入局試験の数字が高くなければ、くだらないことを喋っていられないのだ。

 

公共放送たるNHKはデマの拡散を防ぐ役割があるはずだ。

 

さて、「リベラル」が加担したLGBTサイドの誤読というかデマの立場に立って奴らの主張を粉砕してあげよう。


「リベラル」が加担したLGBTサイドは「(LGBTは)生産性がない」(例えば松岡宗嗣 gendai.ismedia.jp/articles/-/57649)は不当だという。

杉田氏は

LGBTカップのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです」(下線は筆者)

と書いている。だから松岡宗嗣の切り取り「(LGBTは)生産性がない」は間違い。

「(LGBTカップルは)「生産性」がない」の方がより正確だ。

「リベラル」が加担したLGBTサイドは、LGBTカップルをLGBTに拡大するというフェイクを作り出している。言い換えるなら、「XX人のYYは泥棒だ」という指摘を「XX人は泥棒だ」というヘイト発言に改竄しているのだ。


LGBTカップルは生産性がない」を論理学で考えてみよう。

これは「全てのLGBTカップルには生産性がない」と言い換えることができる。

LGBTカップル」とLGBTを付けて限定しているのだから、このカップルは性的関係ある必要がある。クリックとワトソンや、Appleを作った二人のスティーブのような同性の友人や仕事仲間は除かれるし、チューリングのような一人の場合も除かれる。

 

論理学では「全ての白鳥は白い」のような例をよく使う。

「全ての白鳥は白い」という全称命題の反証は理論的には簡単だ。黒い白鳥を一羽だけでも見つければ良いのだ。(はいはい、名辞矛盾ですね。)

だが、実際的には、これは難しい。地球の隅々、果ては、マルチバースは無視するとしても、この宇宙の開闢から終焉まで黒い白鳥を探しつくさねばならないからだ。

仮に、執拗な探索の末、黒い白鳥が一羽見つかったとしても、実際的なレベルでは「全ての白鳥は白い」は正しい。世の中には例外という便利な言葉があるしね。

杉田氏はヘテロカップルの「生産性」の例として出産という割合ありふれている例をあげた。LGBTカップルでしかできない生産も同様の頻度を持たなければならない。

さて、杉田氏の文が世に出て2ヶ月経つ。「論証に時間を」だが、2ヶ月は「論証に十分な時間」だ。

なのにLGBTカップル固有の生産性は未だ示されていない。言い換えるなら、LGBTカップルしか持たない生産性を反例として提示されてはいない。

よって「(LGBTカップルは)生産性がない」は少なくとも実際的レベルで正しい。

 

(文中一部敬称略)