ノーベル賞にみる「お脳」科学者茂木健一郎の論理ミス
京大特別教授本庶佑氏のノーベル賞受賞を受けて、「お脳」科学者茂木健一郎の過去のtweetがほじくり返された。
「ノーベル賞もらったからって、最高の知性なんて保証はない。20世紀最高の知性たち(ヴィトゲンシュタイン、チューリング、フォン・ノイマン)はノーベル賞もらってない。その程度の「権威」を盲信している日本人って、何なんだ?」
健一郎の論理ミスを指摘する。
1. ノーベル賞は知性を顕彰する賞では無い
ノーベル賞は優れた業績をあげた人に授けられる賞であり、優れた知性を持つ人に与えられる賞では無い。多くの場合、優れた業績を上げる人は優れた知性を持つ人と一致するが、常に一致するとは限らない
。ジョン ナッシュはノーベル経済学賞を受賞しているが、統合失調症を患っていた。また、化学賞を受賞したキャリー マリスは当時違法だったLSDやマリファナを使用していた。
ノーベル賞は業績に対して与えられるもので、その業績が知性の働きによるものかは評価しない。アレクサンダー フレミングはペニシリンを偶然発見して生理・医学賞を受けた。偶然をすごい発見につなげられる能力は目覚ましい知性とも言えるが、必ずしもそうとは言えない。フレミング以上の知性の持ち主でも、青カビの周りの細菌コロニーが無くなっているところを見なければ、ペニシリンの発見は難しかったろう。
ノーベル賞が評価する業績は「優れた業績を上げることに貢献した」業績も含む。田中耕一氏は質量分析技術の開発で化学賞を受賞したが、氏自身は新しいすごい化学上の発見をしたわけでは無い。
2. ノーベル賞は死者には授けられない
ノーベル賞は優れた業績を上げた人に与えられる。
だが、私も含む凡人は優れた業績だと直ぐに分かるわけでは無い。何十年も経ってから分かるときもある。優れた業績だと認識された時に不幸にも業績を上げた人が死去していたら、ノーベル賞は授与されない。
論点がずれるが、人種差別があったのか、北里柴三郎は業績を横取りされた。
3. ノーベル賞には哲学賞は無い。
ノーベル賞には哲学賞や数学賞は無い。従って健一郎が例示したヴィトゲンシュタイン、チューリング、フォン・ノイマンはそもそもノーベル賞受賞対象者では無い。
4. 仮にノーベル賞が優れた知性に授けられる賞だとしても
仮にノーベル賞が優れた知性に授けられる賞だと仮定しよう。
こんな例を考えてみよう。
金の純度99.99%と99.991%の二つがあったとする。私なら両方とも純金だと思うが、99.991%の方がすごいと評価されるだろう。では、99.99%の方は価値がないのか?そんなことはない。
5. ヴィトゲンシュタインらは反例になっていない。
「全ての白鳥は白い」という正しそうな理論がある。ところがオーストラリアには黒い白鳥「コクチョウ」(カモ目カモ科ハクチョウ属)がいる。だから「全ての白鳥は白い」は正しくは無い。
正しそうな理論を反証する実例を反例という。
「全ての白鳥は白い」を反証しようとしてカラスやカモを上げても反例にはならない。カラスやカモは白鳥ではないのだから。
健一郎がヴィトゲンシュタイン、チューリング、フォン・ノイマンらを列挙して、「ノーベル賞もらったからって、最高の知性なんて保証はない」を反証しようとしても、上記カラスとカモの例同様無意味なのだ。
6. 必要条件と十分条件
数学には必要条件と十分条件という用語がある。4.と5.をこれを使ってい言い換える。
命題「ノーベル賞を受賞しているならば、優れた知性がある」。これは正しいとしよう。
この時、「ノーベル賞受賞」は「優れた知性」の十分条件になる。
逆にした「優れた知性」は「ノーベル賞受賞」の必要条件ではあるが、十分条件では無い。
「音楽家ならば、芸術家である」が正しいとしても「芸術家は、音楽家である」は正しく無い。音楽家でない芸術家、例えば、画家もいる。
また、今のご時世だと、ネオナチ認定された科学者はノーベル賞を受賞できそうに無い。
こんなレベルの知性の持ち主である茂木健一郎は僥倖でも無い限り科学部門経済学部門のノーベル賞受賞はあり得ない。
(文中敬称略)