村山富市 漢字が読めない総理大臣
社会党(現 社民党)の村山富市は苦学したと言えるだろう。1924年に生まれ、大分市立中島尋常小学校から大分市立高等小学校へ進み1938年に卒業した。神童なら篤志家が学費を出してくれ、高等小学校ではなく、中学に進んだろうから、さほど学業の成績は良くなかったと推定できる。
東京に出て働きながら東京市立商業学校に学んだことから、学業は好きだったのだろう。1943年に旧制明治大学専門部政治経済科に入学して哲学研究部に席を置いた。旧制明治大学専門部とは大学ではなく、いうならば、大学付属専門学校。1944年学徒動員の後、同年に徴兵された。終戦時は幹部候補生として軍曹だった(以上Wikipedia 村山富市)。村山は幹部候補生になれたので軍での成績はそこそこだった。終戦時幹部候補生で軍曹だったということから次のことが分かる。
ポツダム昇進しているはずなので富市は乙種幹部候補生だったと思われる。優秀なら甲種で曹長になっていたはず。
1946年に旧制明治大学専門部政治経済科を卒業した。敗戦のどさくさもあり実質的な専門部の教育は受けていない。
その後組合活動家として頭角を現した。
さて富市は「国民をぞんぼうの危機におとしいれ」(youtu.be/DHmPXkIDf9I?t=4304)と発音した。「ぞんぼう」は存亡の誤りと思われる。組合活動家上がりなので国家存亡などを考えることも口にすることもなかったので、誤読につながったと推定できる。
(文中敬称略)