『ハゲタカ』真山仁の嘘 全日空L-1011導入に関わるデタラメ

(本稿は真山仁の連載『巨弾ノンフィクション ロッキード 角栄はなぜ葬られたのか』(週刊文春2018/10/11号)を批判した[文春コラム劣化]『ハゲタカ』真山仁の嘘の続きです。)

 

次の話題に移る。

 

真山仁はp142に全日空ボーイング727-281が、岩手県雫石上空で、航空自衛隊の練習機と衝突」(1971/07/30)と書いている。

 

正しくは、全日空機が「前方不注意で追突」だ。

 

また、全日空機に追突されたのは練習機ではなく、訓練中のF-86F戦闘機。

仁の記事のタイトルには「巨弾ノンフィクション」とある。どこにノンフィクションがあるのか?

 

仁は元全日空社長の若狭得治が元運輸相事務次官だったから機種選定にあたって

「安全性に徹底的にこだわった」

「しがらみよりも、安全性重視-------。」

と書いている。更に小見出しを「安全こそ運輸業の絶対的使命」にして印象を強めている。だが、全日空は静粛性を選定ポイントとして強調している。選定にあたってL-1011の方が安全性が高いと明言することはDC-10は危険だと言うことに近い。確かに、航空会社が具体的根拠も無く感覚だけ(後述)でDC-10は危険だとは言えないことは認める。

 

全日空の安全性について見てみる。

全日空の事故をWikipedia全日空」を見ると

1958/08/12 全日空下田沖墜落事故(死者33 DC-3)から始まって機種選定の1972年までに

・1966/02/04 全日空羽田沖墜落事故(死者133 B727-100)

・1966/11/13 全日空松山沖墜落事故(死者50 YS-11)

・1971/07/30 全日空機雫石追突事故(死者162 B727-281)

の50人以上の死者を出した上記を含む計15件の事故を起こしている。

 

若狭は1969年に全日空天下り、70年に社長となった。

1966年の死者133人の事故で航空法が改正されボイスレコーダーが搭載が義務化されることになった。たとい、義務化されていなくとも安全性を重視するなら、所有機にはポイスレコーダーを装備して当然だ。だが、若狭社長就任の後になる1971/03に登録され、雫石で追突事故を起こした真新しいB727-281には搭載されていなかった(ということになっている)。

 

若狭の狙いは安全性重視よりも

全日空運輸省天下り用植民地にすること、

その為には

・会社を存続させること、

・会社を発展させること、

・海外線に進出すること

だったように見える。

実際、実際雫井追突事故のパイロットは休憩を取る暇も無いスケジュールでこき使われていた。整備員も同様。疲労はミスを招く。どこが「しがらみよりも、安全性重視-------。」なのか。実状は

「しがらみよりも、収益重視-------。」だ。 

 

全日空の狙いは運輸省事務次官だった若狭を使って官界政界に働きかけることで、その為には贈賄もした。

 

若狭の資質を見てみる。

若狭氏は戦前に多かった宿痾、結核に罹患し、運輸省の温情で療養のため東海海運局伏木支局へ転勤した。

これからも分かる通り若狭はもっぱら海運行政に関わってきた。東京帝国大学法学部出身。鉄道局よりはマシだろうが、3次元も考えなければならない航空機の安全性にどこまで深い知見を備えていたのか。しかもジェットの。

 

ところで、消費者庁はなぜ作られたのだろう。各省庁が担当する業界を保護する傾向が強く、ユーザーを軽視しやすいこともその理由の一つだ。

上記を鑑みれば、運輸省出身の若狭が乗客を重視したと言えるのか? 最近では、遡れば運輸省と同じ親(逓信省)を持つ総務省は携帯電話各社のデータ通信料金の高さを問題としてこなかった。NHKが儲け過ぎだということも問題としなかった。

穿った見方をする。運輸省事務次官は安全性を重視するとは言うだろう。だが、「安全性を重視」とは航空会社を手なずけるための鞭のようにも見える。

 

仁は犯罪歴にも触れていない。若狭は贈賄の疑いは時効でパス(Wikipedia「若狭得治」)できたが、議院証言法違反で執行猶予付きの懲役3年になった。

 

そもそも、日航全日空運輸省出身者を社長に据えた。日航の松尾静麿は航空庁出身だからまだしも、同じく日航の社長朝田静夫は海運局長→事務次官で、若狭は朝田の跡を追った。トヨタの社長は運輸省なり通産省事務次官か?日産やホンダの社長は?

日航全日空運輸省出身者を社長に据えたのは航空業界が官界政界に大きく支配されていたことを示す。官界が安全性を重視すると言う証拠はどこにあるのだ? 元空将佐藤守氏の『自衛隊の「犯罪」』(2012 青林堂)には、全日空機が雫石事故の賠償で全日空を潰れるかもしれない、潰れたら天下り先が減ると心配した運輸官僚の姿が出て来る。

 

機種選定で安全性が決め手になったかの検討に移る。

仁は「世界各地で重大事故を連発したDC-10を採用しなかったのは当然だった」(p142)と書いている。この文の前には日航がキャンセルした(もしかしたら全日空が買ったかもしれない)DC-10の墜落事故を書いている。これを読むと、DC-10を買わなかったのは正解という印象を読者が受けるように仁は仕向けている。仁の言う通りなら「世界各地で重大事故を連発したDC-10」なんぞ、全日空に限らず、世界の航空会社は買わないと推測できる。

ところが、L-1011の製造機数は250なのに、DC-10の製造機数は446機(含 米空軍向け60機)、更に、DC-10を改造してブランド名を変更したMD-11も200機製造された。(L-1011トライスター、DC-10、MD-11は三発機。エンジンの進歩、それに伴う安全面等の規制緩和により、双発機で三発機を代替できるようになった。エンジン2個と3個では2個の方がコスト面で有利なので、三発機は廃れた。)

 

仁の時間感覚を見てみる。

DC-10の最初の墜落事故は1974/03/03。だが、全日空が導入したL-1011トライスターはそれより早く1972/12/29に墜落事故を起こしている。

 

全日空L-1011の導入決定は1972/10/28で前記二墜落事故より前。全日空の役員たちには予知能力があったと仁は言いたいらしい(笑)。

 

仁は次の反論するかもしれない。

墜落事故の前にDC-10は1972/06/12に貨物ドア破損事故という重大事故があった、と。

だが、全日空の10/07に開かれた役員会の機種選定会議では、DC-10推し2名、L-1011推し4(内技術系3)名、B747SR推し1名であり、DC-10ドア破損事故に全役員が震え上がったようには見えない。(L-1011は先進技術を売り物にしていたので、技術系役員はその点に魅せられた可能性がある。)

 

L-1011の事故も少なく無い。2011/12時点で事故は32(内、機体全損11)、死者539。DC-10は2015/09時点で55(内、機体全損32)、死者1261(含 巻き添え)。DC-10の方が多いが、製造機数の差を思い出そう。DC-10では仁が挙げた設計ミスによる事故もある。この設計ミスに関連する事故の原因は改修してないのに改修したという誤魔化し等人的ミスがあった。また、DC-10の事故にはハイジャック、管制官ミス、操縦ミス、整備ミス、バードストライクも含まれている。

また、次に書くバリエーション数の差も考慮すべきだろう。

売れなかったL-1011のバリエーションは7。

売れたDC-10のバリエーションは13。DC-10は長距離型を最初から意識して、胴体中央部に脚をつけられるよう配慮していたので多くのバリエーションが可能となり、多くのニーズに応えることができた。

 

次は仁の言語感覚。

DC-10やL-1011を仁は「エアバス」と総称している。読者に分かりやすく説明するための旧習を踏襲した工夫だとは思う。機種決定当時ならともかく、今や、「エアバス」はヨーロッパの航空機メーカーの名前だ。

仁の流儀に従うなら、日産のセレナやエルグランド、ホンダのオデッセイ、三菱のデリカを総称して「アルファード」、いや「トヨタ」と呼ぶようなものだ。

仁の記事には書かれていないが、全日空は一般にジャンボと呼ばれるB747SRも候補の一つとしていた。仁はジャンボもエアバスの一つと言うのだろうか。

 

DC-10、L-1011エアバスA300、B747等の総称は通常「ワイドボディ機」が使われる。

 

(本稿はWikipedia「DC-10」(英日)、「LC-1011」(英日)、「若狭得治」、「ロッキード事件」を参照しました。)

 

(文中敬称一部略)