LGBTの「性的指向」と「性的嗜好」は対立概念か? 杉田水脈 #イケガMeToo 

そもそもの発端となった杉田水脈議員が声明文(sugitamio.net/shincho45_post.pdf)を出されました。そこには自民党の「性的指向性自認に関する特命委員会」とやらが「「性的指向性自認」と書くべきところを「性的嗜好」と表現したこと」は「「誤りである」と」「指導」したとのこと。

 

本当に誤りでしょうか?

 

杉田氏が書いた『「LGBT」支援の度が過ぎる』(新潮24 2018/08)には「指向」と「嗜好」の双方が使われています。

「嗜好」の用例は一つで次の文です。

「T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害」と書いた後で。

「一方、LGBは、性的嗜好の話です。」

障害と際立たせる形で、つまり、LGBは障害では無いと含意しつつ、杉田氏は「性的指向」を含む(後述)「性的嗜好」を用いています。

 

この性的嗜好の用法は誤りなのか、池上彰さんの説明と合わせて検討します。

 

#イケガMeToo池上彰さんが馬鹿脚をお晒しになった週刊文春(2018/10/18号)の連載コラム『池上彰のそこからですか!?』では

・「「性的指向」と「性的嗜好」の混同が見られます」と主張し、

・「性的指向は、好きになる対象の「性別」の問題」、「自分の意思で選んでいるわけではないので、これは「好み」の問題ではないのです。」

・「「性的嗜好」とは、文字通り「好み」の問題。性癖や、どのようなエッチが好きかという レベルです。中には社会的に指弾されるような好みの人もいるでしょう。」

と定義しています。

 

ご丁寧にも、池上さんは性的嗜好に「社会的に指弾される好み」も含まれると解説しておられます。このご丁寧な解説は性的嗜好に犯罪的ニュアンスを擦り付け、「性的指向」は穢れは無いと示唆しているように見えます。

 

彰さんの定義は杉田水脈議員への当てこすりではないかと思います。杉田議員は『「LGBT」支援の度が過ぎる』(新潮45 2018/08号)の中で「性嗜好」使っていました。「意味が違うんだよ、お前はアホか」もしくは「お気の毒なLGBTの方に向かっておぞましい意味を含む言葉を使うんじゃねえ」が彰さんの意図なのでしょう。

 

けれど、世界の多くの国では同性愛は犯罪です。ちょっと遡ればイギリスなどでも犯罪でした。(キリスト教的倫理観がなくとも同性愛をおぞましく感じるのは自然なことであることは別稿で示しています。)

現在イスラム教徒が増加し欧州へ進出しています。再度、欧州で同性愛が犯罪に指定される日も近いのかもしれません。

国連でも人権委員会イスラム系委員を送り込めば、お気の毒なLGBを「治療」させるよう日本政府に勧告が出るかもしれません。いわゆる「リベラル」の方は国連の方からくる勧告や欧米の動向がお好きですから、そうなったら手のひらを返すでしょうか(笑)。

 

彰さんは「性的指向」は「自分の意思で選んでいるわけではない」と説明してます。ならば、「性的指向」はアル中やヤク中のような病気/障害だと主張されるのでしょうか。そうなら、LBGも治療の対象となります。LBGも治療の対象なら税金の投入も可能となり、めでたしめでたしとなります。

が、LBGの人はそれで良いのでしょうか。

 

ところで、性的指向は本当に「自分の意思で選んでいるわけではない」のでしょうか。

彰さんも書いているように性についての嗜好は幅広いスペクトラムを持ちます。いいかも程度から欠かせないまで。「性的指向」についても強度の点で幅広いスペクトラムを持ちます。

 

バイセクシャルが特定の性を選択するとき、それは一つの性を「自分の意思で選んでいるわけ」です。

修道女がレズビアンセックスに走るとき、それは確かに、「自分の意思で選んでいるわけではない」と言えます。ですが、それは選択の余地が無いだけです。選択の余地と多少の訓練があれば、異性愛に戻る修道女も多いでしょう。修道女は多くの人を導く存在です。ですから修道女には広い視点が必要です。Lの狭い見方に染まってしまうのは不適切です。

 

ジャニーズさんの毒牙にかかった少年は、「自分の意思で選ん」だのでしょうか?

 

このような容姿の女子(笑)

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や、このような容姿の女子(笑)の

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「社会的に指弾されるような」性的嗜好の対象になった少年がゲイに走るとしたら、かかる少年は「自分の意思で選ん」だと言えるのでしょうか。

 

逆も言えます。

上記容姿の女子から「社会的に指弾されるような」性的嗜好の対象にされた女性が異性愛という「性的指向」に逃れたら、それは「自分の意思で選ん」だと言えるのでしょうか。

 

とても美しく素敵な憧れの女性に続けて二、三人から愛されたとして、自分はレズビアンだと自認したとしてそれは正しい自認なのでしょうか。もしかしたら、性別より、人格や容姿を重視する「指向」では無いのでしょうか。

 

ローレンツコガモは最初に出会ったおっさん=ローレンツを母親と認識しました。コガモの認識を変更するのは難しいでしょう。

パブロフのイヌはベルの音で涎を垂らします。これは変更可能です。

女性を見ると濡れてしまうLはどうなのでしょうか。

 

光のスペクトラムは(厳密には離散的なのですが)連続して変化する波長の違いによって生じます。変数が一つなので1次元のスペクトラムと言えます。

ところが、性的スペクトラムは2次元3次元以上の多次元的スペクトラムです。

 

かって究極の選択という話題がありました。いえ、カレーの話ではなく。

男性なら、お婆さんタレントと美少年タレント。

女性なら、おっさんタレントと美女タレント。

どちらとセックスする?という選択です。

軽い話題ですので本心かどうかは定かではありません。また、実際にそういう状況になれば心変わりをする人も出るでしょうが、美少年、美女が選ぶ人も多かったのです。

 

彰さんに申し上げておきますか、彰さんが示した定義はLGBT界隈とそれを書き写した公的機関が使用しているだけです。国民的合意は得られているとは言い難い。

 

性的指向性的嗜好は対立概念でしょうか?

高々人口の数%のLGBT業界ではそうかもしれませんが、多数派が少数派の謬見に従わなければならない理由はありません。

 

彰さんの「嗜好」の説明には「性癖」も出てきます。性的な場面で「性癖」は次のように使います。

「アキラさんの性癖は「リベラル」男/女のケツの穴を舐め回すこと。」

(アキラさんがケツの穴を舐め回すことを「自分の意思で選んでいるわけではないので、これは「好み」の問題ではないのです。」

(多義になるよう表現しました。))

同性とセックスすることも「性癖」の一つです。「性的嗜好」は性についての階層的分類に於いて、制約条件が少ないと言う意味で「性的指向」の「上位分類階級」です。

イギリス人に向かって「アメリカの方はあちらへ」と案内すると、これは不適切です。

ですが、「外国の方はあちらへ」は適切です。「外国の方」は「アメリカの方」を含みますから。つまり「上位分類階級」ですから。

 

「性犯罪犯」を「殺人犯」に置き換えると文意が混乱します。

ですが、「性犯罪犯」を「犯人」に置き換えても文意が混乱することは少ない。

それは「犯人」が「性犯罪犯」を包含する言葉だからです。

 

結論は、「性的嗜好」は「性的指向」の上位分類階級ですから、「性的嗜好」を「性的指向」の代わりに使っても文意が曖昧になる場合もあるかもしれませんが、問題とはなりません。