保阪正康の毎日の特攻記事に見られる虚偽?

元朝日新聞が佐藤章が捏造ぽいtweetをした。彼の父親から聞いた話という触れ込みなのだが、父親が嘘をついたのか佐藤がでっち上げを書いた疑惑が深まった。(疑惑の指摘は以下 https://togetter.com/li/1339286)

 

佐藤への追求に添付されていたのが保阪正康(79)ご老体の『特攻70年

「特攻は日本の恥部、美化は怖い」 保阪正康さんインタビュー』(2014/10/24)(http://mainichi.jp/articles/20141024/mog/00m/040/003000c)

(https://books.google.co.jp/books?id=zFoxDwAAQBAJ&pg=PA48&lpg=PA48&dq=特攻は日本の恥部、美化は怖い&source=bl&ots=IaogLFCGOJ&sig=ACfU3U2bYsOc6gkutT8Ldsr59QKWClWZ0w&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwijmvHvyITiAhWtJaYKHa2eBfcQ6AEwB3oECAkQAQ#v=onepage&q=特攻は日本の恥部、美化は怖い&f=false)

 

保阪は

・<基地では特攻隊員の“最後の叫び”を聴くことができた。>

・参謀の個人日記で「部外秘」印が押されたものがある。

・その日記には、

<「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」>

とあった。

・「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうです。「大日本帝国万歳」というのはほとんどなかった。

・そうした通信記録は残っていない。故意に燃やしてしまったに違いありません。“軍神”が「海軍のバカヤロー」と叫ぶ。それは当局にとって、隠蔽(いんぺい)すべきことだったでしょうから。

高校時代に「きけわだつみのこえ(ママ)」を読みました。それが特攻隊について、考えるようになった契機です。

 

まず些細なことから。

きけ わだつみのこえ』(東京大学協同組合出版部 1947)は編集方針が偏向しており、内容も改竄している。保阪が読んだ当時はその事実は知られていなかったかもしれないが、保阪は知識のアップデートを怠り、古い思い込みで現在も発言している

 

保阪の記事については既に以下のような批判が寄せられている。

特攻機に積んであった無線機の能力では音声の場合数十キロしか届かない。特攻する場所と九州の基地は何百キロも離れている。

・個人日記に部外秘?

・<そうした通信記録は残っていない。故意に燃やしてしまったに違いありません>と言うが他の傍受記録は残っているのか?残っているとするなら、記録を黒塗りするしかない。黒塗りは残る。傍受記録自体が無いのなら、敗戦時に記録を廃棄した時に一緒に失われただけ。敗戦国が記録を戦勝国に渡さないよう廃棄することは普通のプロシージャー。よって保阪は間違った思い込みをしている。

 

既出の批判と違った観点から保阪の文を批判する。

 

音声は稀に届くこともあるかもしれないが、「今日も」と日記に書かれるほどではあるまいと私は推定する。

 

仮に届いたとしよう。

さて、二週間ぶり二回めの鶯の音を聞けば「今日も鶯が聞けた」と日記に書く。雀や鳩やそしてカラスの鳴き声について日記に書くだろうか。「今日も」と書いたが、それは毎時どころか連日すら意味しない。

 

即ち、日記の記述は統計的頻度上の意味は持たない。

 

特攻は主に予科練の出身者が担った。予科練は全国から生徒を募集した。大東亜戦争の頃テレビは無く、方言は強く残っていた。大阪出身者が「バカヤロー」と叫ぶか?「海軍のドアホー」と叫ぶのでは?名古屋なら「海軍のクソターケ!」だろうし、(以下方言ジャパン様 https://hougen-japan.com/kotoba/baka/)

宮崎出身なら「海軍のしちりん!」、福岡なら「海軍のあんぽんたん!」、香川なら「海軍のほっこ!」、宮城なら「海軍のほんでなす!」。

 

私には特攻、自爆テロやそれに近い経験は無い。誰かが「天皇陛下万歳!」と音頭をとってくれれば、私も「天皇陛下万歳!」と叫び勇気を鼓舞して突撃するだろう。生憎、特攻では音頭をとってくれる人はいない。死をかけて突撃する時には怒りなどをかき立てなければできないと感じる。怒りをぶつける相手とその理由は何だろう? 私は共産主義は日本に仇なす主義だと思う。だが、私がヤクザだとして「共産主義のバカヤロー」と叫びながら敵対する組の事務所にカチコミするとは思えない。身近なものに怒りをぶつけるだろう。保釈されたばかりだとしたら「警察のバカヤロー」と叫ぶ。

つまり、<『海軍のバカヤロー』>に深い意味は無いのかもしれない。参謀の立場からすると問題かもしれないが。

 

保阪は

<「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうです。「大日本帝国万歳」というのはほとんどなかった。>

と言う。これは保阪の質問の答えだ。統計に疎い保阪は「どんな叫びが多かったですか?」と尋ねていない。

 

尚、保阪は

<特攻機は離陸した後はずっと、無線機のスイッチをオンにしているそうなんですよ。>

と書く。多少でも戦史を知っていれば無線封止という言葉を知っているはずだ。保阪によれば何百キロも届く無線をつけっぱなしにして、つまり、「我進撃中」と宣伝し、敵に準備万端にさせてから攻撃するも、そんなことをしたか?

 

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