討論の意味を間違える枝野と朝日
朝日新聞が『(社説)国会改革論議 党首討論から始めよう2019年5月9日05時00分』(https://www.asahi.com/articles/DA3S14006404.html)
を掲載した。
朝日は
・党首討論の開催回数が少ない。
・<党首討論は、人間性を含む各党首の力量や、各党の理念や政策の方向性を知る貴重な機会だ。夏の参院選での1票の判断材料にもなろう。>
・<与党は、失点回避のために首相の出番を限定したい。>
・<野党は、党首討論より首相に長く質問できる予算委員会の集中審議を要求しがちである。>
と指摘し、次の勘違い枝野幸男立憲民主党盗主(54)の発言を載せる。
<「今の党首討論は歴史的意味を終えた」>
枝野勘違いの発言理由は
<質問に正面から答えず、自分の言いたいことだけを延々と語る安倍首相が相手では、まともな討論にならない>
とする。
朝日は
<野党は、党首討論より首相に長く質問できる予算委員会の集中審議を要求しがちである。>
と書いた。言い換えるなら、
野党は、総理に反論されたくない。だから反論権が無い予算委員会の集中審議を要求する、
になる。
何故、野党は反論されたくないのか?
反論されれば、野党は勝てないからだ。
そもそも、朝日も「党首討論」と書き「党首質疑」とは書いていない。党首討論は質疑の場では無く、討論の場なのだ。国会では質疑しかできないことを反省して党首討論は生まれた。朝日は都合よく健忘症にかかったふりをする。枝野盗主の無理な主張に同調するためだ。