保阪正康の「特攻は日本の恥部、美化は怖い」への疑問

元朝日新聞が佐藤章が捏造ぽいtweetをした。彼の父親から聞いた話という触れ込みなのだが、父親が嘘をついたのか佐藤がでっち上げを書いた疑惑が深まった。(疑惑の指摘は以下 https://togetter.com/li/1339286)

佐藤への追求に添付されていたのが保阪正康の『特攻70年

「特攻は日本の恥部、美化は怖い」 保阪正康ご老体(79)さんインタビュー』(2014/10/24)(http://mainichi.jp/articles/20141024/mog/00m/040/003000c)。

(https://books.google.co.jp/books?id=zFoxDwAAQBAJ&pg=PA48&lpg=PA48&dq=特攻は日本の恥部、美化は怖い&source=bl&ots=IaogLFCGOJ&sig=ACfU3U2bYsOc6gkutT8Ldsr59QKWClWZ0w&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwijmvHvyITiAhWtJaYKHa2eBfcQ6AEwB3oECAkQAQ#v=onepage&q=特攻は日本の恥部、美化は怖い&f=false)

批判の一部は先に書いた。

(『保阪正康の毎日の特攻記事に見られる虚偽?』

『保阪正康の「エリートは前線に行かず、戦争を美化するんです」への疑問』)

本編は続きである。

次に記事タイトル「特攻は日本の恥部、美化は怖い」と対応する本文を批判する。

 

<特攻は日本の恥部です。命を慈しむ日本の文化や伝統に反する事です。命中率99%であったとしても、ダメなんです。志願を建前としていたが、実際には強制でした。本人が望んでいない死を要求し、死なせる。こんなものは軍事では無い。国家のため、大義のたるという、自己陶酔でしかない。>

<戦争とは人の生死をやり取りする闘争です。ロマンなどないんです。>

保阪は日本の文化や伝統を無視している。確かに日本は<命を慈しむ>。だが、命を超える有形無形の存在を信じてきた。例えば忠臣蔵忠臣蔵のヒットの理由に反江戸幕府があったことは確かだろう。だが、それだけか?

歌舞伎つながりで義経はどうだろう。衣川戦における弁慶の立往生も悲壮なシーンとして有名だ。

 

命を超える有形無形の存在を持ち出さなくとも命を捨てることが納得される場合もある。

母親は子の<命を慈しむ>。子を助けるために母親は命を捨てることもある。他人である消防士も火炎の中に飛び込む。特攻も国民の命を守る可能性を信じて行われたと保阪は考えられないのか。

 

保阪に限らず日本の「リベラル」は知識のアップデートをしない。「リベラル」に都合が悪いことが示されるからだろう。

しばらく前に流行したハーバード大学のマイケル サンデル教授の白熱教室。

そのテーマの一つがトロッコ問題。Wikipedia「トロッコ問題」より引用する。

<(a) 線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。>

この対策を考えなければならないのだが、特攻を命令する立場の人に突きつけられた問題に近い問題は次だろう。

<(2) A氏は線路の上にある橋に立っており、A氏の横にC氏がいる。C氏はかなり体重があり、もし彼を線路上につき落として障害物にすればトロッコは確実に止まり5人は助かる。だがそうするとC氏がトロッコに轢かれて死ぬのも確実である。C氏は状況に気づいておらず自らは何も行動しないが、A氏に対し警戒もしていないので突き落とすのに失敗するおそれは無い。C氏をつき落とすべきか?>

 

特攻が行われた頃、通常の攻撃と特攻を比較すると例えば次のようになったとしよう。

通常攻撃だと攻撃成功率 1%、帰還率 35%(但し再使用可能な機体は25%)

特攻だと攻撃成功率 5% 帰還率 30%(*1)

(*1 機材の故障や敵発見できないため帰還する率も高かった。『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか 』(鴻上尚史 講談社 2017)の陸軍のパイロット佐々木友次氏は8回離陸して投弾したのは2回。あとは機体不良、直掩機とランデブーできないなどの理由で引き返した。)

通常攻撃だと部下に犬死にを強いるだけだ。

私が操縦士なら、どうせ死ぬなら敵空母を道連れに!と考える。

1の成果を出すために100機出すとする。出せる可能性は0.63で65名が戦死。これが通常攻撃だ。

特攻なら20機出せぱ0.64の確率で成果が出せ、戦死は14柱ですむ。


攻撃隊100機を出すとしたら直掩機も100機出したい。当時の日本にそれだけの人材、機材と燃料の余裕があっただろうか。

指揮官はどうするべきなのか。

 

保阪が言うように<戦争とは人の生死をやり取りする闘争です。ロマンなどないんです>。

戦争を美化し、戦争にロマンを求めているのは、保阪手はないのか!

 

保阪が特攻隊の司令官だとしよう。

敗戦後、自決する前に父母と妻子に一目会おうと帰郷する。父は衰え、妻は十を頭に5人の子供と父母の面倒でやつれ果てている。保阪は彼らを残して自決するのか?

 

保阪が特攻隊の司令官だとしよう。

敗戦後、特攻した部下の父母が訪ねて来てご子息の最期の様子を尋ねられた。私なら、隊員がロクでもないやつだったとしても「奴は奴に相応しく犬死しましたよ。(呵々大笑)」とは言わない。良い点を見つけ出し褒め「立派に敵艦を沈め散華されました」と言う。

保阪もそうするのでは?

だとしたら、保阪ですら特攻を美化することになる。


保阪は「特攻は日本の恥部、美化は怖い」と簡単に言い切れるのか。

保阪をはじめこの手の人は「美化」だとか「ロマン」など「審美」的立場でしか語れない。彼らの知的衰退を嘆く。