鴻上尚史『不死身の特攻兵』への疑問

鴻上尚史さんが『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか 』(講談社 2017)を出されました。

 

鴻上さんに限らず、旧軍人を今インタビューするときには十分注意しなければなりません。敗戦から74年経ちました。老人に多く見られる症状を発症しなくとも記憶は薄れます。記憶が薄れるとしばしば記憶を創造します。

悪いことに演劇の作・演出を手掛ける鴻上さんはどうやらそれを考慮しませんでした。さらに不勉強でもあります。特に、兵器について。

 

(私から見て)頭のおかしい人の本は買いません。その代わりに『9回出撃で9回生きて帰った特攻兵「生還の秘密」』(鴻上さんをインタビューし、池田道大(フリーライター)さんが取材・構成))(https://blogos.com/article/315784/)を典拠として以下を議論します。これも陸軍特攻兵だった佐々木友次さんのインタビューを基にしているようです。

 

<フィリピンを拠点とした陸軍の万朶隊は、九九式双発軽爆撃機(九九双軽)に800kg爆弾をくくりつけた。>

Wikipedia「九九式双発軽爆撃機」では九九双軽の爆弾搭載能力は300~500kgとなってます。九九双軽には機外に爆弾架はありません。全て爆弾倉に収めます。どうやると「くくりつけ」られるのでしょう。

800キロ爆弾の原型は海軍の40サンチ砲の砲弾です。直径は40cm余りあります。爆弾倉の扉の幅とスペースは十分あるのかと疑問が出ます。これはまず大丈夫でしょう。

九九双軽の爆弾倉の支柱は500kgまで耐えられるように設計されています。800キロ爆弾は500キロの6割り増し。支柱は耐えられないと思います。「くくりつけ」るようなやっつけ仕事では耐えられるようにできるのか疑問です。

Wikiには特攻用に

<1944年(昭和19年)後半には、胴体に800kg爆弾を内蔵して機首に触発信管を装備した特攻機型(ト号機)であるキ48-II乙改が11機製造>

とあります。

鴻上さんの記事では、佐々木友次さんは第一回目の出撃で爆弾を投下したことになっています。内臓の800キロ爆弾は投下できたのでしょうか。

キ48-II乙改は機首に触発信管を装備しました。ならば800キロ爆弾の信管はどうなっているのでしょう。もし、外してあったなら、爆弾を投下しても爆発はしません。記事では<敵艦めがけて爆弾を投下した。>となってます。「爆撃した」ではありません。「投棄した」が実態に近いのかもしれません。

機首の信管と800キロ爆弾の間にはリンクがあるはず。このリンクを外さずに爆弾を投下したらリンクが外れるまでにパイロットや機体を傷つけてしまうのではないでしょうか。

(Wiki「万朶隊」によれば改造して緊急投下と安全装置解除はできるようにしてあったようです。)

 

Wikiには<48-II乙改が11機製造>されましたが後に<戦果はないまま通常型への再改造が行われている>とあります。佐々木さん以外が特攻したなら機体は失われたはずです。特攻しなかった/できなかった機が11機中相当数あったようです。あるいは11機が間違っているのかもしれません。

 

最初の出撃は<佐々木は4人乗りの九九双軽にひとりで乗り込み>とあります。Wikiによりますと九九双軽の夜間爆撃改造型ですら乗員は2-3名。通常なら操縦士、航法士、爆撃手、無線士、銃手の役割が必要です。訓練を受けていないたった一人でこれらの役割は果たせません。爆撃手には照準器などの機材と訓練が必要です。特攻なら爆撃手は不要ですが、一人で爆撃する場合、操縦士と爆撃手の役割を同時にこなせるとは思えません。目標近くだと敵の直掩機、高射砲弾を避けなければなりませんから。やはり、爆弾は爆撃に使ったのではなく投棄したのでしょう。

 

ところで、鴻上さんの記事には

<※内容は鴻上氏が著作権継承者の許可を得たうえで高木俊朗『陸軍特別攻撃隊』上巻・下巻(文藝春秋)に準拠して記述した。>

とあります。これって何なのでしょう。もしかして記事は創作?

 

 

陸軍のパイロット佐々木友次氏の9回の出撃は以下。

1.爆弾投下

2.僚機と遭遇できず戻る

3.出撃直前爆撃に会う

4.直掩機が引き返すので戻る

5.目標前に敵編隊と遭遇して戻る

6.爆撃、大型船沈めると言う。

7.離陸失敗

8.200隻近い艦船を見て無駄と感じて引き返す

9.機体不良で戻る

 

戦闘に及んだのは9回中2回。これで不死身とは少々大げさです。

 

先に書いたように佐々木さんの第一回目の爆弾投下は照準無しの爆弾投棄のように見えます。2回目以降は通常型の九九双軽に搭乗したのかもしれません。その場合でも特攻ですから爆撃手は搭乗させなかったでしょう。

ですから

<「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり死ぬまで何度でも行って爆弾を命中させます」>

に説得力はありません。

佐々木さんは

<「この臆病者! よく、のめのめと帰ってきたな。きさまのような卑怯未練な奴は、特攻隊の恥さらしだ!」>

と怒鳴りつけられたそうです。佐々木さんの爆弾投下が爆弾投棄なら、<卑怯未練な奴>と見抜かれます。

 

本来、鴻上さんは上記の疑いを晴らすように記事を書くべきでしたが、無知が災いして任を果たすことができませんでした。