大村愛知県知事、まだ憲法21条の検閲と言い張る

大村秀章(59)愛知県知事あいちトルエンナーレ(©︎渡邉哲也)2019実行委員長があいちトルエンナーレの企画展「表現の不自由・その後」閉鎖について話した。その中で、大村言論弾圧者は津田大介ヘイト屋兼ダブルスタンダーにして窃盗推進者副社長(45)に改善要求をしたところ、津田窃盗推進者に

<「それだったらこの企画をすべてやめる」>(*1)と脅された。

大村東大法学部卒者は「表現の不自由・その後」を続行した理由として

(<企画を全てやめる>と)<憲法21条の話になってしまう恐れがある。ましてや事前ですからね。>

とした。

 

既に私は『大村愛知県知事にして検閲者、他人を検閲とののしる』で憲法21条の検閲について検討した。憲法21条が言う検閲とは以下を満たす必要がある。

・行政権が主体であること

思想統制であること

・網羅的・一般的な禁止であること

・事前規制であること(発表前の審査、禁止)

(検閲と事前抑制の禁止 https://ja.wikibooks.org/wiki/検閲と事前抑制の禁止)

 

上記条件を再度検討してみる。

1.あいちトルエンナーレ愛知県や名古屋市とは別団体だ。行政権と言えるのだろうか?

2.美術品に明確な思想があるのか?牧場の絵を見てビーガンは騒ぐかもしれないが、大概の人は美醜を判断するだけだ。ピカソの『ゲルニカ』を観て戦争を良きものと見る人もいるかもしれない。

展示品が美術品では無いと言い張るなら、それは美術展に相応しくない。

3.一展示会で展示させないことが「網羅的・一般的な禁止であること」であるのか? 他にも美術品展はある。朝鮮人戦時売春婦像は南朝鮮アメリカへ行けばいつでも見られるのだ。(不愉快さを我慢できればだが)

4.例えば2015年の「表現の不自由」展などで既に発表ずみの美術品を展示しないことが「事前規制であること(発表前の審査、禁止)」に当たるのか?

 

そもそも、検閲とは

書籍・新聞・映画・放送あるいは信書などにより表現される内容を,公権力が事前に強制的に調べること。憲法により禁止されている。

(Macスーパー大辞林)

のように公権力が他者の発信を妨げることだ。

新聞の投書欄に全ての投書は掲載されない。これを検閲と騒ぐ常識的な人はいない。

公報に市民の投書が掲載されることがある。全ての投書が掲載されてはいないと思う。これを検閲と騒ぐ常識的な人はいない。

あいちトルエンナーレは展示しない作品を選んでいる。選に漏れたと言って検閲だと騒ぐのは駄作の作者で、かつ、非常識な人以外はいない。

 

あいちトルエンナーレが行政権だとしても、公報同様、展示内容を選別することは検閲には当たらない。

 

大村東大法学部卒言論弾圧者は閉鎖騒ぎの後憲法を学び直したのだろうか?

 

津田大介ヘイト屋兼ダブルスタンダーにして窃盗推進者副社長(45)には大村東大法学部卒言論弾圧者(59)と同程度の美術センスしか無い。大村東大法学部卒言論弾圧者は自信を持って津田窃盗推進者副社長の提案を却下すれば良かったのだ。

 

大村東大法学部卒言論弾圧者は農水省のお役人としてやらない理由をいろいろ捏ねてきたと思う。今回だけ却下理由をでっちあげなかったのは何故だろう?

 

(*1 KSL-Live!様 https://ksl-live.com/blog25084)