朝日新聞が高御座の高さが気に入らないらしいが、他国元首は?

運悪く立件民主の選挙演説に出会したことがある。枝野幸男盗首(55)が私を見下ろしていた。演説の会場は枝野盗首の地元ではない。何の資格があって枝野盗首は奴を選んでもいない人々を見下したのだろう。

 

朝日新聞は2019/10/23付『(社説)即位の礼 前例踏襲が残した課題』(https://www.asahi.com/articles/DA3S14228225.html)に

<正殿の儀をめぐっても、天孫降臨神話に由来する高御座(たかみくら)に陛下が立ち、国民の代表である三権の長を見おろす形をとることや、いわゆる三種の神器のうち剣と璽(じ)(勾玉<まがたま>)が脇に置かれることに、以前から「国民主権政教分離原則にそぐわない」との指摘があった。>

と書いた。まず、<政教分離原則にそぐわない>と指摘しているのは異常な人々だと指摘しておく。こういうときだけ朝日新聞は民意を持ち出さない。

 

さて本論。

憲法第一条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

と規定している。

 

安倍総理大臣は衆参の自民公明両等党の投票でその地位を得た。安倍総理に投票した議員の背景には多数の有権者がいる。だが、例えば、石破茂氏(62)を総理にしたい人も地元の議員に投票したろう。安倍総理に投票した議員に投票した有権者全てが安倍支持とは限らない。よって安倍総理を直接的に選んだ人は数百人でしかない。衆参両議長も同様の議論が成り立つ。最高裁長官に私は投票した記憶が無い。若年性痴呆症ではないと認識しているのだが・・・。

既に示したように天皇の背後には「主権の存する日本国民の総意」がある。高々数百人の支持しか得ていない総理や議長や、人事で昇格する最高裁長官とどちらが「偉い」かははっきりしている。

 

ところで、落語家は広々とした高座に上がってふかふかの座布団の上に座り、狭苦しく硬い座席(私の感想)の観客を見おろす。これが許されるのはお客から見やすいからだろう。即位正殿の儀が行われた松の間の床は平で階段教室ではない。ならば両陛下が高御座に立たれても良いのではないか。

 

更に、即位正殿の儀には各国の元首も参列された。他国元首から「見下ろされるのは不愉快」と朝日は報じていない。日本はお客様を大切にする。元首すら文句を言わないのに総理議長最高裁長官ごときが文句を言える立場なのか。

 

なお、朝日の記事で、勾玉が”()”で括られ、読みの"まがたま”が”<>”で朝日新聞が括った理由は定かでない。