瑞穂、首謀者に連なるのに 優生保護法

野党のいやらしいところは頰被りをすること。そして、「被害者に寄り添う」と称して、責任が無い人を叩くこと。

東日本大震災の事例が一つの例だ。

不始末をしでかしたのは民主党政権だ。なのに、民主党政権を形成した議員が、罪が無い自民党政権を断罪する。

笑止だ。

 

福島瑞穂優生保護法に熱心だ。例えば次のtweet

優生保護法下における強制不妊手術を考える議員連盟のプロジェクトチームを行いました。たたき台について、超党派で議論をしました。力を合わせて、来年法律を成立させようと超党派で、努力をしています。」(11:49 PM - 1 Nov 2018)

 

戦前と終戦後しばらくの間日本は人口過剰に怯えていた。実際

江戸時代は約3000万人だった人口が、

昭和15年(1940) 約7300万人、

昭和20年(1945) 約7200万人、

昭和25年(1950) 約8320万人。

(ja.wikipedia.org/wiki/日本の人口統計)

 

戦前は海外へ移民を推奨したが、敗戦で朝鮮、満州支那から引揚者が本土へ戻った。

社会党(言うまでもなく、福島瑞穂が実質的に率いる社民党の前身)と共産党が暗躍し

1946/05/12、米よこせデモ

1946/05/19、世田谷の主婦永野アヤメらを担ぎ上げ、25万人が参加したとされる食料メーデーを使嗾した。

 

これで、日本人には人口過剰感がしっかり植えつけられた。

 

この頃日本はアメリカ軍の占領下にあった。その総司令部GHQは神のごとく振舞っていた。GHQは飴と鞭を使って反米新聞だった朝日新聞GHQの宣伝紙に変え、NHKを洗脳機関として活用した。

 

「1907年にアメリカ合衆国インディアナ州で世界初の優生思想に基づく中絶・堕胎法が制定された。それ以降、1923年までに全米32州で制定された。カリフォルニア州などでは梅毒患者、性犯罪者なども対象となったこともあった」(Wikipedia 「母体鉾保護法」)

 

日本を原始時代に戻したいGHQにしてみれば、「良い日本人は死んだ日本人だけ」または「良い日本人は生まれてこない日本人だけ」。

堕胎を罪と感じるキリスト教徒が少なかったのか、反キリストである共産主義スパイやシンパに浸透されていたのか、はたまた、日本人を人として見ていなかったのか、GHQ(の一部)は「良い日本人は生まれてこない日本人だけ」を推進した。

 

加藤シヅエという女がいた。アメリカに留学し産児調節のマーガレット サンガーに感化され、帰国後の1931年に産児調節運動に邁進した。

 

GHQがこの女に目をつけた。福田昌子(医学博士)などとともに「おっぱいがあればいい」というジェンダーバイアスを利用して加藤を1946/04の第22回総選挙で、福田を1947/04第23回総選挙で初当選させた。二人は社会党に所属した。

 

第23回総選挙で社会党は466議席中143議席を獲得して第1党となった。(自民の前身である自由党は131、民主党は124)。

社会党党首片山哲は420票を獲得して総理大臣(1947/05/24~1948/03/10)となった。これは「憲政の常道」観念も影響した得票数だと考えられる。

 

加藤と福田らは優生保護法を1947年に提出し1948年に施行させた。

 

加藤は、国民優生法(1940)は「実際には悪質の遺伝防止の目的を達することが、ほとんどできないでいる」(Wikipedia加藤シヅエ」)を優生保護法の提案理由とした。

 

 

以上の経緯を鑑みれば、福島瑞穂も党員であり、福島と同じ性を持つ社会党議員こそ優生保護法成立の主犯とまでは言えないかもしれないが首謀者であったことに疑いない。

 

加藤シヅエはこれらの業績もあり、勲二等宝冠章、勲一等瑞宝章が授けられた。

見逃せないのは加藤シヅエが1988年に国連人口賞を受け取っていたことだ。そこには良心の呵責は見て取れない。

 

ミス穂が包丁で人を刺し殺したとしよう。責められるのは単なる「機関」である包丁ではなく、それを使ったミス穂だ。

公務員が違法命令に抗ってもそれは合法だ。だが、優生保護法は適法だった。

公務員機関説を認めるべきで、責を咎められるべきは立法だ。

 

先に述べたように行政は立法が定めた法に基づいて仕事を進める。よって、福島は行政を責めるのではなく、立法、特に社民党を断罪すべきなのだ。

 

(文中敬称略)