石破の残存生命力に見る、残念な三浦瑠璃のリアリズム

三浦瑠璃氏の『第4次安倍改造内閣が映し出す2021年以後の風景』(headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181002-00010007-fnnprimev-pol&p=1)に次の一節がある。

「石破氏はいったん時機を逃したものの、そこから抜け出て総裁選では地方票で善戦することで次の可能性を残した。」

 

三浦氏が言うところの地方票とは党員票を指すと思われる。それを前提として以下の議論を進める。

 

石破氏が獲得した痴呆、もとい、地方票の得票率は44.7%だった。

自民党党員の年齢構成は見つけられなかった。信頼できる情報かどうか定かではないが、『衝撃のデータ「あと10年で自民党員の9割が他界する」と言う記事が見つかった。チャンネルくららで江崎道朗氏が趣旨は違うが似たような発言をしていた(3:35)(youtu.be/W3yl2wdTgWI?t=216)ので実状に近いと思われる。

youtu.be


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言い換えると自民党員にはご老体とその老妻が多いと言うことだ。これらの人々がネットを活用しているとは思えない。これまでの選挙の分析から、ネットが使えない世代は朝日やテレビに同調しやすいことが明らかになっていると言って良い。

 

次の総裁選は3年後。ネットを使えないご老体は姿を消していく。代わりにネットを使えるエルダー層の比率が高まっていく。

『衝撃のデータ~』には選挙のある年になると候補者が党本部から課せられたノルマを達成するため、名義を借りて党員数を増やすそうだ。この時党員費は候補者が負担する。名義を貸して党員になる人は候補とのおつきあいがある。70代80代の候補者は稀だろう。40~60代の候補者に名義を貸す人もそのくらいの年齢となる。名義を貸した人へも総裁選の案内が来る。中には投票する酔狂な人もいよう。その場合、ネットを使えない世代の投票行動とは異なる選択をするだろう。

 

石破推しは朝日新聞などが行った。だが、3年後となれば朝日新聞の部数は、また、100万部近く減少するだろう。となれば、朝日の世論形成力はランチェスターの法則から部数減以上に弱まる。

 

次の総裁選には石破氏以外も出馬する。

そうなれば、支持基盤が石破氏より強い破翼好みの候補者が出るだろう。したがって、朝日などが石破氏を推さなければならない理由は無くなる。

 

 

 

 

共同通信、支那寄りの報道 中国館異常接近でも

2018/10/01、航行の自由作戦を行っていた米イージス駆逐艦支那共産党海軍駆逐艦が約40mまで接近する挑発をした。

 

これを報じる共同通信の記事には「中国が実効支配する南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島周辺」という一節(this.kiji.is/419613701923488865?c=113147194022725109)がある。

 

南沙諸島Wikipediaには「2017年現在は、ベトナムが22か所、フィリピンが8か所、中華人民共和国が7か所、マレーシアが5か所、台湾が1か所を実効支配している。」とある。

 

実効支配の数で言えばベトナムが最多の22。どうして「中国が実効支配する南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島周辺」と言えるのか。

 

記事には「ジョンソン南(中国名・赤瓜)礁とガベン(南薫)礁を埋め立てて造った人工島」という記述がある。人工島は領有権を主張できる島では無い。したがって実効支配という概念はそもそも成立しない。それなのに共同通信は「実効支配」を用いることで

1. 領有可能な島が存在し、

2. それを支那が支配している

という支那の主張を撒き散らしている。

村山富市 漢字が読めない総理大臣

社会党(現 社民党)の村山富市は苦学したと言えるだろう。1924年に生まれ、大分市立中島尋常小学校から大分市立高等小学校へ進み1938年に卒業した。神童なら篤志家が学費を出してくれ、高等小学校ではなく、中学に進んだろうから、さほど学業の成績は良くなかったと推定できる。

東京に出て働きながら東京市立商業学校に学んだことから、学業は好きだったのだろう。1943年に旧制明治大学専門部政治経済科に入学して哲学研究部に席を置いた。旧制明治大学専門部とは大学ではなく、いうならば、大学付属専門学校。1944年学徒動員の後、同年に徴兵された。終戦時は幹部候補生として軍曹だった(以上Wikipedia 村山富市)。村山は幹部候補生になれたので軍での成績はそこそこだった。終戦時幹部候補生で軍曹だったということから次のことが分かる。

ポツダム昇進しているはずなので富市は乙種幹部候補生だったと思われる。優秀なら甲種で曹長になっていたはず。

1946年に旧制明治大学専門部政治経済科を卒業した。敗戦のどさくさもあり実質的な専門部の教育は受けていない。

その後組合活動家として頭角を現した。

 

さて富市は「国民をぞんぼうの危機におとしいれ」(youtu.be/DHmPXkIDf9I?t=4304)と発音した。「ぞんぼう」は存亡の誤りと思われる。組合活動家上がりなので国家存亡などを考えることも口にすることもなかったので、誤読につながったと推定できる。

 

(文中敬称略)

ノーベル賞にみる「お脳」科学者茂木健一郎の論理ミス

京大特別教授本庶佑氏のノーベル賞受賞を受けて、「お脳」科学者茂木健一郎の過去のtweetがほじくり返された。

 

ノーベル賞もらったからって、最高の知性なんて保証はない。20世紀最高の知性たち(ヴィトゲンシュタインチューリングフォン・ノイマン)はノーベル賞もらってない。その程度の「権威」を盲信している日本人って、何なんだ?」

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健一郎の論理ミスを指摘する。

 

1. ノーベル賞は知性を顕彰する賞では無い

ノーベル賞は優れた業績をあげた人に授けられる賞であり、優れた知性を持つ人に与えられる賞では無い。多くの場合、優れた業績を上げる人は優れた知性を持つ人と一致するが、常に一致するとは限らない

。ジョン ナッシュはノーベル経済学賞を受賞しているが、統合失調症を患っていた。また、化学賞を受賞したキャリー マリスは当時違法だったLSDマリファナを使用していた。

 

ノーベル賞は業績に対して与えられるもので、その業績が知性の働きによるものかは評価しない。アレクサンダー フレミングペニシリンを偶然発見して生理・医学賞を受けた。偶然をすごい発見につなげられる能力は目覚ましい知性とも言えるが、必ずしもそうとは言えない。フレミング以上の知性の持ち主でも、青カビの周りの細菌コロニーが無くなっているところを見なければ、ペニシリンの発見は難しかったろう。

 

ノーベル賞が評価する業績は「優れた業績を上げることに貢献した」業績も含む。田中耕一氏は質量分析技術の開発で化学賞を受賞したが、氏自身は新しいすごい化学上の発見をしたわけでは無い。

 

2. ノーベル賞は死者には授けられない

ノーベル賞は優れた業績を上げた人に与えられる。

だが、私も含む凡人は優れた業績だと直ぐに分かるわけでは無い。何十年も経ってから分かるときもある。優れた業績だと認識された時に不幸にも業績を上げた人が死去していたら、ノーベル賞は授与されない。

 

論点がずれるが、人種差別があったのか、北里柴三郎は業績を横取りされた。

 

3. ノーベル賞には哲学賞は無い。

ノーベル賞には哲学賞や数学賞は無い。従って健一郎が例示したヴィトゲンシュタインチューリングフォン・ノイマンはそもそもノーベル賞受賞対象者では無い。

 

4. 仮にノーベル賞が優れた知性に授けられる賞だとしても

仮にノーベル賞が優れた知性に授けられる賞だと仮定しよう。

こんな例を考えてみよう。

金の純度99.99%と99.991%の二つがあったとする。私なら両方とも純金だと思うが、99.991%の方がすごいと評価されるだろう。では、99.99%の方は価値がないのか?そんなことはない。

 

5. ヴィトゲンシュタインらは反例になっていない。

「全ての白鳥は白い」という正しそうな理論がある。ところがオーストラリアには黒い白鳥「コクチョウ」(カモ目カモ科ハクチョウ属)がいる。だから「全ての白鳥は白い」は正しくは無い。

正しそうな理論を反証する実例を反例という。

「全ての白鳥は白い」を反証しようとしてカラスやカモを上げても反例にはならない。カラスやカモは白鳥ではないのだから。

 

健一郎がヴィトゲンシュタインチューリングフォン・ノイマンらを列挙して、「ノーベル賞もらったからって、最高の知性なんて保証はない」を反証しようとしても、上記カラスとカモの例同様無意味なのだ。

 

6. 必要条件と十分条件

数学には必要条件と十分条件という用語がある。4.と5.をこれを使ってい言い換える。

命題「ノーベル賞を受賞しているならば、優れた知性がある」。これは正しいとしよう。

この時、「ノーベル賞受賞」は「優れた知性」の十分条件になる。

逆にした「優れた知性」は「ノーベル賞受賞」の必要条件ではあるが、十分条件では無い。

 

「音楽家ならば、芸術家である」が正しいとしても「芸術家は、音楽家である」は正しく無い。音楽家でない芸術家、例えば、画家もいる。

 

また、今のご時世だと、ネオナチ認定された科学者はノーベル賞を受賞できそうに無い。

 

 

こんなレベルの知性の持ち主である茂木健一郎は僥倖でも無い限り科学部門経済学部門のノーベル賞受賞はあり得ない。

 

(文中敬称略)

 

 

 

 

 

 

 

杉田水脈「生産性」論争は、リベラルLGBTサイドの負け

杉田水脈議員の『「LGBT」支援の度が過ぎる』(新潮45(2018/8号))という文には「「生産性」」という語があり、問題とされている

「リベラル」が加担したLGBTサイドは悪質だ。彼女らは杉田氏の文を誤読して、もしくは誤読した振りをして、次のようなデマを流している。

杉田水脈は「障害者には生きる価値が無い」と書いている。

その結果、同氏は誹謗中傷の嵐にさらされている。例えば、NHKのニュースウォッチ9(2018/08/03)は

桑子真帆「浅はか、ともいえる言葉に反発や嫌悪感を覚えた人は少なくないのではないでしょうか。」

有馬嘉男「一人一人の価値を数字で測るような考え方、受け入れることはできません。」

とお言葉を下された。

 

確か、東京医大は受験生の価値を得点という数字だけで評価しなかったこと、問題とされませんでしたか? > 有馬

殺人犯の価値は殺した人数で決まりますよね > 有馬

 

そもそも、この二人だって入局試験の数字が高くなければ、くだらないことを喋っていられないのだ。

 

公共放送たるNHKはデマの拡散を防ぐ役割があるはずだ。

 

さて、「リベラル」が加担したLGBTサイドの誤読というかデマの立場に立って奴らの主張を粉砕してあげよう。


「リベラル」が加担したLGBTサイドは「(LGBTは)生産性がない」(例えば松岡宗嗣 gendai.ismedia.jp/articles/-/57649)は不当だという。

杉田氏は

LGBTカップのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです」(下線は筆者)

と書いている。だから松岡宗嗣の切り取り「(LGBTは)生産性がない」は間違い。

「(LGBTカップルは)「生産性」がない」の方がより正確だ。

「リベラル」が加担したLGBTサイドは、LGBTカップルをLGBTに拡大するというフェイクを作り出している。言い換えるなら、「XX人のYYは泥棒だ」という指摘を「XX人は泥棒だ」というヘイト発言に改竄しているのだ。


LGBTカップルは生産性がない」を論理学で考えてみよう。

これは「全てのLGBTカップルには生産性がない」と言い換えることができる。

LGBTカップル」とLGBTを付けて限定しているのだから、このカップルは性的関係ある必要がある。クリックとワトソンや、Appleを作った二人のスティーブのような同性の友人や仕事仲間は除かれるし、チューリングのような一人の場合も除かれる。

 

論理学では「全ての白鳥は白い」のような例をよく使う。

「全ての白鳥は白い」という全称命題の反証は理論的には簡単だ。黒い白鳥を一羽だけでも見つければ良いのだ。(はいはい、名辞矛盾ですね。)

だが、実際的には、これは難しい。地球の隅々、果ては、マルチバースは無視するとしても、この宇宙の開闢から終焉まで黒い白鳥を探しつくさねばならないからだ。

仮に、執拗な探索の末、黒い白鳥が一羽見つかったとしても、実際的なレベルでは「全ての白鳥は白い」は正しい。世の中には例外という便利な言葉があるしね。

杉田氏はヘテロカップルの「生産性」の例として出産という割合ありふれている例をあげた。LGBTカップルでしかできない生産も同様の頻度を持たなければならない。

さて、杉田氏の文が世に出て2ヶ月経つ。「論証に時間を」だが、2ヶ月は「論証に十分な時間」だ。

なのにLGBTカップル固有の生産性は未だ示されていない。言い換えるなら、LGBTカップルしか持たない生産性を反例として提示されてはいない。

よって「(LGBTカップルは)生産性がない」は少なくとも実際的レベルで正しい。

 

(文中一部敬称略)

 

杉田水脈氏は何故「生産性」という語を使ったのか LGBT 

杉田水脈議員の『「LGBT」支援の度が過ぎる』(新潮45(2018/8号))という文には「「生産性」」という語があり、問題とされている。

 

「「生産性」」の前後を含めて引用すると

「行政が動くということは税金を使うということです。

 例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。」

 

文中の「つまり」は、「生産性」と「子供を作る」が同値であることを示している。しかも、杉田氏はわざわざ生産性という語を「」で括り、ここでは、生産性をちょっと違う意味で使ってますよと強調しているのだ。

 

だが、メディアの切り取りは酷い。例えば、朝日新聞高橋純子は(LGBTカップルは)「生産性がない」と切り取った。

「当事者として「新潮45」問題と向き合う」と紹介されている松岡宗嗣も「(LGBTは)生産性がない」と切り取った(gendai.ismedia.jp/articles/-/57649)。

正確に報道しようとしているメディアでも、

「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです」

と引用する。

更に正確を期すメディアでも

LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです」

止まりの引用しかしない。

原文にある

「例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。」

の部分、特に「大義名分」はカットされてしまう。

 

杉田氏は「T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。」と書いている。これにより文中の「子育て支援」や「子供ができないカップル」とは健康で働いていて生活保護の対象にならない程度の稼ぎがある人、もしくはカップルだと分かる。

だから、NHKなどが誤解した(させた?)障害者の発言を紹介したり、やまゆり園事件の植松被告を例に出すのは不当である。NHKは公共放送であるから、誤読誤解を直すのが仕事だ。

 

Tについても性転換手術前後のTも、健康で働いていて生活保護の対象にならない程度の稼ぎがある人、もしくは、カップルに含まれる。確かに、性転換手術前後のTもホルモン剤投与などにより不調になる人もいるが、純女でも生理痛が酷い人はいる。

 

健康で働いていて生活保護の対象にならない程度の稼ぎがある人、または、その人の庇護下にある子供にお金を出すには大義名分がいる。小渕恵三首相(当時)は条件を満たす人に2万円をばら撒いた。受け取る資格のある人の中には、15歳以下の子供がいる世帯主も含まれた。このばら撒きの「表向きの真の」の理由は人気取りだ。だが、「真の真の」理由は公明党のご機嫌とり。

このばら撒きには「地域振興券」と名前と大義名分がつけられた。

 

今、教育無償化の議論が行われている。その論拠の一つに行政が負担する学資以上の見返りが税収として期待できるというものがある。この論に従うなら、教育無償化は投資なのだ。

 

健康で働いていて生活保護の対象にならない程度の稼ぎがある人々の一部を支援するとしたら、それは、投資でなければならないように思える。投資なら、トータルとして、投資額以上のリターンがなければならない。とすれば投資を受ける一部の人の生産性の有無が問題となる。(投資にはリスクがつきものだ。不妊治療が失敗してもそれは織り込み済み。閉経した女性に不妊治療と称して税金を使うのは問題だと考えるが。)

 

更に付け加えるなら、行政は言葉を飾る。通称「淫行条例」の一般的な正式名称は青少年保護育成条例だ。杉田氏は地方公務員も経験している。

 

これが杉田氏が大義名分という語を提示した後に、わざわざ「」で括った生産性を使った理由なのだろう。

 

(文中敬称一部略)

 

杉田水脈論文と神を揶揄する小噺 LGBT 

全知全能と称するキリスト教の神ヤハウェを揶揄する小話がある。

 

全てを見通す神は、人が歳を取れば眼鏡が必要となることを知っておられた。思いやり深い神は眼鏡を設置できる台をお作り下された。つまり、鼻を用意されたのだ。ハレルヤ!

 

全てを見通す思いやり深い神なら、老眼にならないようにできるだろ、がこの小噺の真意だが、それはさておき。

 

小噺の「つまり」は「鼻」と「眼鏡を設置できる台」が言い換えであることをを示している。杉田水脈議員の新潮45(2018/08)に掲載された『「LGBT」支援の度が過ぎる』中の「つまり」も同じだ。

「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。」

の「生産性」は「子供を作る」の言い換えなのだ。

 

杉田氏はわざわざ生産性という語を「」で括り、ここでは、生産性をちょっと違う意味で使ってますよと示しているのに。

それなのに、杉田氏を煩わしく感じる者共は生産性を普通の意味に(わざと)誤解して叩く。