【悲報】「デモ暮らしの敵」をタイポして赤恥。想田和弘
映画作家と称する想田和弘さんが誤変換のままtweetしてしまった。
まず、和弘さんはデモクラシーと表現の自由の関係を理解せぬまま、珍説を披露した。彼は、プロ市民によるアピール行動と有権者の投票行動を区別できていない。彼は
「デモやハンストや住民投票や訴訟などで」政治を変えろ
と主張した。よく言って、選挙によって示される多数意思を軽視している。
和弘ちゃんの考えだと、極少数がデモやハンストしたなら、多数は極少数の謬見に従わなければならない事になる。和弘ちゃんの思想を少々進めると、
暴力団が包丁を携えて「覚醒剤解禁」と示威行動をしたら、覚醒剤を解禁しなければならない。
覚醒剤を解禁するのは統治機構だ。その決定過程には多数派市民の意思が介在する余地は無い。
最近、沖縄で普天間移設に反対し、沖縄全県で県民投票しろと、ハンバーガーストを行なった元山(ウォンサンと読むのだろうか?)とかいう者がいた。
市町村は県民投票の事務を行うかどうかを決定する権限を持っている。その権限の行使は自治体の議会で審議され決定された。
和弘ちゃんの論理に従えば、その権限の行使権を自治体から奪うことになる。
ところで、ウォンさんは一部から大層称揚されている。その中には、ウォンさんをガンジーと比定するプロ市民も目立つ。だが、ガンジーのハンガーストライキは支持を得て大衆を動かしたから効果があったのだ。ウォンさんが偉人の行動と同じ行動をしても得るものは嘲笑だ。ハンガーストライキは意思表明でしかない。
もし、県民投票中止を求めてハンガーストライキが行われた場合、県民投票を停止せねばならない事は、和弘論理の当然の帰結だ。
万が一、和弘ちゃんがウォンさんの半バカ滓ストを優先するならば、それは選民思想だ。しかも選民を選ぶのは和弘ちゃんたち賎民だ。
確かに、和弘思想はデモクラシーとは相容れない。
「彼らはデモクラシーの敵である。」
確かにまともなデモクラットは「デモ暮らしの敵である」し、「デマクラシーの敵」でもある。
可哀相に、想田和弘ちゃんは誤変換のままtweetしてしまった。
「デモやハンストや住民投票や訴訟などではなく、政治や社会を変えたいなら選挙で結果を出しなさい。そう、主張する人がいたら要注意である。彼らは私たち主権者から、政治に参加するための表現や行動の手段を奪い、権力者たちに白紙委任させようとしている。彼らはデモクラシーの敵である。」(https://twitter.com/KazuhiroSoda/status/1086814217527799808)