【悲報】津田大介、芸術家としての自覚無し

 

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連行される津田大介ヘイト屋

(朝日新聞様から引用 https://www.asahi.com/articles/ASM836T7WM83OIPE02P.html)

津田大介ヘイト屋(45)は愛知県で開かれているあいちトリエンナーレの芸術監督だ。

津田ヘイト屋の芸術に関する実績は著作権を無視する違法ダウンロードの推進だ。敢えて付け加えるなら、文化庁主催のメディア芸術祭で新人賞を得ているが、但しエンターテイメイント部門。なお、実績に乏しい津田ヘイト屋はこれを自分への権威づけと他人を威圧するために使っている。

 

津田ヘイト屋が新人賞や芸術監督になれた理由は定かでないが、科研費に見られるような身内同士の持ち回り/推薦の可能性がある。

 

HUFFPOST(*1)によると津田ヘイト屋は閉鎖された「表現の不自由展・その後」はジャーナリストの発想で企画したと述べている。HUFFPOSTのインタビュー記事には、津田ヘイト実践者の言葉からすると、選考基準には芸術とか美という発想は全く出てこない(*2)。あるのは炎上商法の発想だけだ(*3)。

 

そもそも、津田ヘイト屋には個々の作品について「表現の不自由」が何故起きたのか検討していないように見える。朝鮮人売春婦を象徴する作品は、虚偽で、日本をヘイトする作品である。しかもこれは日本と南朝鮮との間で国際問題となっている。これを愛知県という公的機関が展示すれば、南朝鮮の「日本が慰安婦問題を認めた」と宣伝に使われるだろう。津田ヘイト屋がジャーナリストと自称する割にはジャーナリスト感覚に乏しいと言わざるを得ない。言うまでもなく津田ヘイト屋がブラックジャーナリストだという指摘は正しい。

 

所詮は津田ヘイト屋自称ジャーナリスト。新しいものは生み出せない。できることは限られている。今回の企画も2015年の企画「表現の不自由展」のパクリでしかない。

 

 

(*1 『津田大介さん「ジャーナリストとしてのエゴだったのではないか」。“表現の不自由展”中止の責任を痛感 (あいちトリエンナーレ)』(https://www.huffingtonpost.jp/entry/tsuda-art_jp_5d455808e4b0aca3411e3f5f)

 

(*2 <芸術祭で、ジャーナリストがジャーナリストらしさを持ったまま美術の企画としてやるとしたら何があるんだろうと考えました。>)

(*3 <物議をあえて醸すことに意味があると思ったんですけど、物議を醸した結果、企画と全く関係ない人にところまで火花が飛び散るようなことが起きてしまった。>)