津田大介は真っ当なキュレーター?? 大村愛知県知事の破綻したロジック

大村秀章被告(予定)(59)が河村たかし名古屋市長の糾弾に回答した。その中にある大村被告(予定)自身を正当化するロジックの破綻を示す。

 

小稿では以前森ゆうこハルモニ(63)のロジックの破綻を示したが、これも同様だ。

 

(以下、簡便のため”(予定)”を省略する。)

 

大村被告が選定した身内とお仲間からなる検証委員会とやらは中間報告を発表した。

中間報告には

<アートの専門家がアートの観点から決定した内容であれば、 政治的な色彩があったとしても、公立美術館で、あるいは公金を使って行うこ とは認められる(キュレーションの自律性の尊重)。 >

があり、大村被告はこれに依拠して次を提示し、正当化を図った。

 

(大村テーゼ)キュレータ―が選択した作品は、展示される。

 

このロジックを別の例で考えて見る。

 

上司が命令したら、部下は従う。

 

これは一見正しそうだが、実は暗黙裏の条件がある。それは命令が適法であること。上司が「強姦しろ」と命じたら部下は従わなければならないのか?

 

これを考慮して大村テーゼを書き換えると

(キュレーターテーゼ)キュレーターがキュレーターとして適切に判断した作品は、展示される

となる。

言うまでもなく、キュレーターテーゼは先に引用した中間報告の内容とほぼ同等である。

 

ここで問題となるのはあいちトリエンナーレ2019のキュレーターがどういう状態にあったか、だ。

 

津田大介容疑者(予定)被告(予定)(45)はキュレーターを外したと証言している

そして、津田容疑者被告が「表現の不自由展・その後」実行委員会を代わりのキュレーターとして選定し、津田容疑者被告と、実行委員会がキュレーションを行ったと自供している。津田容疑者被告は「表現の不自由展・その後」実行委員会は総体として<かたくな>であると津田容疑者被告は自白し、事実上制御が効かなかったと断言している。(https://bunshun.jp/articles/-/15173?page=2)

 

さて、大村被告(予定)が依拠している彼自身が選定した身内とお仲間からなる検証委員会とやらは津田容疑者被告は自身の政治的意図を優先したと断罪している。

(<ジャーナリストとしての個人的野心を芸術監督とし ての責務より優先させた可能性 >を指摘検証した上で、優先したと結論づけた(中間報告p.61))

そもそも、津田容疑者(予定)被告(予定)は窃盗を推進する本を書く、副社長を自称する、さらには、金銭トラブル(横領)の疑いがある、見かけ通り薄汚い人物(これは筆者の主観です)である。

そんな津田容疑者被告を芸術監督に任じたのが間違いだ。まるで、横領犯に出納を任せるようなものだ。

 

また、中間報告は

<しかし出来上がった展示は鑑賞者に対して主催者の趣旨を効果的、適切に伝えるもの だったとは言い難く、キュレーションに多くの欠陥があった。 >(中間報告P.86)

と断定している。

 

中間報告は<作者の制作意図 >を重視して展示作品に美術的価値があると主張しているが、<作者の制作意図 >などなんとでも言えるのに、厳しく尋問してようには見えない。中間報告は、まるで、拳銃で頭部胸部に何発も打ち込んで人を殺して捕まった、例えば、大浦が「殺人の意図はありませんでした」と自供したらそれを信じてしまう裁判官のようだ。

 

以上から、キュレーターテーゼは成り立たないので、展示を中止しても何ら問題は無い。

 

かって「神の手」と畏敬された藤村新一偽造者は各地で旧石器を発見した。博物館のキュレーターはキュレーションしてそれを展示した。が、偽造がバレた旧石器は博物館から撤去された。それと同じことだ。

 

尚、中間報告は表現の不自由展・その後が開かれた愛知県美術館ギャラリーの利用基準の

<鑑賞者に著しく不快感を与えるなど、公安、衛生法規に触れるおそれのある作品>(『愛知県美術館ギャラリー利用者の手引き 』p.2 https://www.aac.pref.aichi.jp/rent/pdf/gallery-tebiki.pdf)

に触れていない。中間報告も、中間報告だけにやっつけ仕事の印象が拭えない。

やっつけ仕事だからのか、津田容疑者被告実質的にキュレーターだったことを隠したかったのか定かではないが、

キュレーターが正しい仕事をせずに選定された作品は展示から外されて当然と、

結論を導き出せないのは情けない。それとも、大村被告に忖度したからだろうか。

 

やっつけ仕事に依拠する大村被告って(笑)。