大村愛知県知事にして検閲者、他人を検閲とののしる
大村秀章愛知県知事兼あいちトリエンナーレ2019実行委員長(59)が、名古屋市長河村たかしさんの意見具申を、
憲法第21条違反の<違反の疑いが極めて濃厚ではないか>(https://abematimes.com/posts/7013626)
と批判した。
<検閲とは発表前に審査して不適切なモノを発表禁止することだぞ。>
<芸術祭を開いて、国民から公費を使うのは不適切といわれて止めただけ。国民の声を伝えたのが河村市長なのでむりろ(ママ)感謝すべき。もう滅茶苦茶だな>(https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/1158242278961364993)
と評価している。(後述)
大村委員長の拙い点は、検閲を持ち出したところにある。
検閲とは
① 基準や規程にあっているかどうかを調べあらためること。
② 書籍・新聞・映画・放送あるいは信書などにより表現される内容を,公権力が事前に強制的に調べること。憲法により禁止されている。
因みに大村委員長は
<「市長の発言は事後検閲」>(https://snjpn.net/archives/149610)
とも言っている。上の②を見ると<事前に>とある。事後検閲は憲法に違反していない。
世の中には評論家と呼ばれる人がいる。この人たちは場合によっては公表される前に作品をチェックして、価値が無いなどと批評する。これは検閲なのだろうか。
世の中には編集者と呼ばれる人がいる。この人たちは作家の思想信条の塊である文章を公表前に改変させることがある。これは検閲なのだろうか。
世の中には本が出た後に、出版差し止め訴訟が起こされ、認められることもある。これは検閲なのだろうか。
河村市長は確かに市長で、名古屋市はあいちトリエンナーレに金も出している。だが、展示を閉鎖させる権限は持っていない。
今回展示を閉鎖したのは大村委員長だ。大村委員長が検閲し、実行委員会に諮ることなく独断で閉鎖したのだ。
検閲したのは河村市長ではなく、大村委員長だ。
それなのに、それを隠そうとしてか、大村委員長は検閲と言う忌み嫌われる悪名を河村市長になすりつけようとしている。あくどい。
更に、大村委員長は知事と言う権力者なのに、検閲と言い募ることで言論の自由を抑圧しようとしている。
さて、憲法第21条は
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
となっている。
検閲の項には事前とも事後とも書いてない。調べてみると最高裁が憲法第21条の検閲とは事前検閲と定義した。これは、海外の猥褻な表現がある(おそらく)ポルノ雑誌を輸入しようとして税関で止められた件を違憲だとして起こされた訴訟(札幌税関検査事件)の判決で示された。
憲法が禁じる検閲の枠組みは以下
・行政権が主体であること
・思想統制であること
・網羅的・一般的な禁止であること
・事前規制であること(発表前の審査、禁止)
(検閲と事前抑制の禁止 https://ja.wikibooks.org/wiki/検閲と事前抑制の禁止)
まず、あいちトリエンナーレ実行委員会は行政権と言えるのか?
朝鮮売春婦の像や天皇の肖像を棄損する作品は美術品なので、思想統制に当たらない。(思想だと主張するなら、トリエンナーレを政治主張の場にして良いのかと反論が突きつけられる。)
朝鮮売春婦の像や天皇の肖像が対象なので、網羅的でも無いし一般的な禁止でも無い。
勿論、事前規制では無い。
判決において最高裁は
<また、表現者は海外で発表の機会を既に与えられているから、輸入を禁止しても事前抑制にあたらないこと>(上記 検閲と事前抑制の禁止)
とした。
今回の作品群は2015年の「表現の不自由展」に展示された作品群などの再展示なので、既に発表の機会が与えられ、機会を使用している。よって事前抑制には当たらない。
幸いなことに大村検閲者が行った行為は憲法が禁止する検閲では無いのだ(笑)。
高橋教授は数学科と経済学部卒、大村秀章検閲者は東大法学部卒、農水省を経て立法府の議員となった。大村検閲者の法律的知識の乏しさよ。