「どこかの国(の人)と違って」

 

関係がない文脈なのに、日本を貶めるめるために、「どこかの国と違って~している」と言い方をよく見る。

例えば週刊文春(2017/06//08)『池上彰のそこからですか!?』では、コミー前FBI長官の解任問題で特別捜査官が任命されたことについて、池上は「どこかの国の官僚のような忖度をしない人間がいるのがいるのがアメリカの強み」と書いている。池上はこの文に限らず「どこかの国(の人)と違って」を多用している。

 

そもそも、コミー自身が忖度の塊だと思う。恐らく、ヒラリーもトランプを直接コミーに捜査開始中止依頼はしていないだろう。が、コミーは、トランプに忖度してヒラリーの捜査をすると言い、次にヒラリーに忖度して「やーめた」と言った。まあ、只の脅しかもしれないけどね。でも、脅しだとすると、将来の大統領に今後の忖度を強要したとも言える。

 

池上が仄めかすように、日本には忖度しない官僚はいないのか?

例えば一色正春氏は当時の仙谷官房長官をはじめ民主党政権に忖度することなく、中共漁船の日本国権への体当たり攻撃の動画を公表した。

 

政治ともなると複雑で、忖度をする/しないを同時にする人がいた。当時の田中真紀子外相は日本人である拉致問被害者には忖度することなく、北朝鮮に忖度して金正男をリーリスしてしまった。

 

(文中一部敬称略)