池上彰 教育勅語には文法間違いがある?!
週刊文春2017/03/30の『そこからですか!?』で池上彰は、教育勅語の「一旦緩急アレハ」
は文法上間違いだとしている。
池上は、「一旦緩急アレハ」を「もしも国家に危機のあるときは」という仮定文と解釈し、議論を進めている。
そして、
1. 当時の文法だと、仮定法は「未然形+バ]が正しく、「アレハ」ではなく「アラハ」である。
2. 「「一旦緩急あれば」となると、「危機は必ず来るから、その時には」という意味になってしまう」とダメ出ししている。
さて、ここで教育勅語使われ方を考えてみよう。
教育勅語は誰が教えるのか?
先生だ。中には文法に詳しい先生もいるだろう。
どこで教えるのか?
学校だ。小生意気な学童はミスをあげつらうのが好きだ。(実際、『気になったことをメモるメモ帳』様*1。井上はWikipediaによれば熊本藩校の秀才で文部大臣等を歴任したし、元田は儒学者で宮中顧問官になった人であり、共に無学では無い。わざわざ「ラ→レ」と直しているので、単純な文法間違いではない。
更に、上記『「教育勅語」に 文法の誤り?』には「アレハ」は「已然形+バ」で、「已然形+バ」は、通常[~なので]という確定条件を意味するが、[~するといつも、~するときは必ず]という恒常条件の用法もあると書かれている。文中には「瓜食めば子ども思ほゆ」(万葉集)などの例が挙げられている。つまり、「先んずれば人を制す」「2に2を足せば4になる」「風が吹けば桶屋が儲かる」といった用法なのだろう。
そうそう、「池上に間違いあれば、これを正さん」(池上には必ず間違えがあるのでそれらを訂正しよう)という例が良いかな(笑)。
(恒常条件は耳慣れない用語だが、検索してみると学研全訳古語辞典などにも記載があり、入試にも出るようだ。)
続いて、解釈上の疑問点だ。
池上は「もしも国家に危機のあるときは」と現代語訳している。私にもこの訳は、正しいと思えた。
だが、「国家」はどこから湧いて出たのだ?
勅語の徳目は父母、兄弟、夫婦、朋友と身近なことを題材にしている。とすると緩急は国家の緩急ではなく、(主に)身近なしょっちゅうおきる緩急だという解釈も成り立つ。
つまり、火事(銀座は防火を目的として煉瓦造りになったことを想起しよう)、地震(予見したとは思わないが、翌明治24年には死者行方不明者7273人の濃尾地震が起きた)、ひったくり、スリ、痴漢(当時はいなかったかも)を見たら「義勇を公に」しろと言っているのだと、私は考える。
私は無学だということを断っておく。「一旦緩急」は国家の緩急を指すことが決まり事なのかもしれない。だが、国家の危機だとしても池上の論難には弱点がある。
教育勅語が出されたのは明治23年(1890年)だ。時代背景を見てみると、幕府が転覆してから20年後。西南戦争は明治10年だ。動乱の記憶は鮮やかだろう。
更に、清は軍艦鎮遠定遠等を以って我国を脅し、あまつさえ明治19年には、清国水兵500が長崎で日本人の運命はこうなるとデモンストレーションしてみせてくれた(長崎事件)。
日本の脇腹に突きつけられた匕首朝鮮ではロシアと清が覇権を競っていた。日清戦争は明治27年だ。
このような時代背景からすれば、池上がダメ出しした解釈(国家存亡の)「危機は必ず来るから、その時には」は少しも駄目ではなく、活きているのだ。
池上の文春コラムの原稿料は知らないが、きっと、十分な時間をかけられるほどではないのだろう。だが、(日本国憲法以外の)公文書は推敲されるという常識があれば、このコラムのような内容にはならなかったはずだ。
(文中敬称一部略)
*ショックなのは『お言葉ですが・・・』の高島俊男さんまでが、「アレハ」を文法間違いとしていたこと。