「苛政は虎より猛なり」斎藤美奈子の『学び舎中学歴史教科書』批評を批評する

斎藤美奈子さんが連載する『世の中ラボ』の105回は『百田尚樹『日本国紀』をどう読むか』(http://www.webchikuma.jp/articles/-/1622)。ここで美奈子は『日本国紀』をトンチンカンに批評しています。

 

斎藤美奈子」は美しい名前だと思います。Wikipediaによると妹さんは斎藤真理子さんでこれも美しい名前と思います。お二人の名前が本名だとしたら、美しい名前は父斎藤文一さんかご母堂またはご祖父母が作ったものでしょう。

 

となると、美奈子がご自身で作り出した美は何かあるのでしょうか?私は寡聞ですから、知りません。

 

美奈子は『百田尚樹『日本国紀』をどう読むか』の末尾で『日本国紀』の他に『決定版 国民の歴史』上下

(西尾幹二 文春文庫)と『増補 学び舎中学歴史教科書――ともに学ぶ人間の歴史』

安井俊夫他 株式会社学び舎 2016年)を取り上げ、寸評しています。

 

『日本国紀』の寸評は

「構えだけは大げさだが、新たな発見には乏しい退屈な、自称「通史」。」

オーソドックスな通史に新たな発見が満載されるものでしょうか。美奈子の目は曇っています。

美奈子は

大東亜戦争はいわゆる「侵略戦争」ではなかった、南京大虐殺従軍慰安婦の記事を捏造したのは朝日新聞であるなど、保守論壇誌で見飽きた言説だけは満載」

とも書いています。これまでのいわゆる通史にこういう言説は載っていたでしょうか?載ってないとしたら、それは新しい視点ですし、読者にとっては発見です。

美奈子は「見飽きた言説」と書いています。虚偽とは書いていません。少なくとも寸評を書いているとき、美奈子は「南京大虐殺従軍慰安婦の記事を捏造したのは朝日新聞である」ことを事実だと認識していたのでしょう。真理子はWikipediaによると朝鮮語の翻訳者だとか。真理子から美奈子は真実を教えられたのかもしれません。

 

『決定版 国民の歴史』上下の寸評は

「秀吉の朝鮮出兵大航海時代に連動する近代の幕開けだった、鎖国は積極的な防衛だったなど、牽強付会な自讃史観が開陳されている点はおもしろい。」

です。私この本は未読なのでなんとも言えませんが

「秀吉の朝鮮出兵大航海時代に連動する近代の幕開けだった」

鎖国は積極的な防衛だった」

は妥当な見方です。

鎖国をするときの日本は平和を構築していました。鎖国キリスト教とそれを奉ずるスペインなどの日本侵略とそれに伴う戦乱を未然に防いだ防衛策ですから。

ここでも、「牽強付会な自讃史観が開陳されている」と書く美奈子の目は曇っています。

 

『増補 学び舎中学歴史教科書――ともに学ぶ人間の歴史』は『百田尚樹『日本国紀』をどう読むか』の本文で次のように紹介されています。

「〈1904年の秋、満州中国東北部)の奉天(現在の瀋陽)に、日露両軍に村を追われた人びとが、次々に逃げ込んできました。人びとは、寺院や人家の軒下などで、寒さにふるえていました〉

日露戦争の項目の書きだし。この教科書では民衆が主で、為政者が従なのだ。」(改行は私)

 

南京大虐殺」の後に南京の人口は増加しました。美奈子が知っているか定かではありませんが「苛政は虎より猛なり」という成句があります。出典は孔子の『礼記』。

孔子が泰山の麓で泣いている女性を見た。問われると女性は夫、子供と舅が虎に食われたと答えた。孔子は何故虎のいない地域へ逃げないのかと尋ねた。女性は「苛政無し」と答えた。孔子は付き従う弟子たちにこう告げた。「苛政は虎より猛なり」と。

つまり、南京を統治した日本軍は苛政を施かなかったという疑いが濃厚なのです(笑)。

 

さて奉天に戻します。奉天は日本軍が占領します。奉天へ逃げた人々は、その後、他へ去って奉天無人となったのでしょうか。

 

日本の歴史にも多くの戦乱がありました。『学び舎中学歴史教科書』には戦乱ごとに「村を追われた人びとが、次々に逃げ込んできました。人びとは、寺院や人家の軒下などで、寒さにふるえていました」と書かれているのでしょうか。特に、元寇刀伊の入寇で被害を受けた人々への優しい眼差しはあるのでしょうか。キリシタンキリシタン大名によるテロや迫害を受け、「追われた人びとが、次々に逃げ込んできました。人びとは、寺院や人家の軒下などで、寒さにふるえていました」と書かれているのでしょうか。また、キリスト教徒に奴隷として海外へ売られた人々へは?

さらに言うなら、ルール破りの行為である東京大空襲や原爆、これまたルール破りのソ連侵攻の被害者である真岡の交換手や、朝鮮などで被害を受けた引揚者への眼差し、加害者への糾弾はあるのでしょうか

 

教科書のページ数には制約があります。戦乱ごとに「追われた人びとが、次々に逃げ込んできました。人びとは、寺院や人家の軒下などで、寒さにふるえていました」とコピベされていたら、その教科書は情報量が少ないものとなります。

逃げ惑うだけの人々は歴史を動かしていません。歴史を歴史を動かしている側をメインに書くのは試行錯誤の結果なのです。

美奈子は捨てられた冗長な見方を新鮮に感じるほど、愚かなのでしょう。