「ヒューマンライツ・無し」 伊藤和子らの発言の原因は身長コンプレックス?
伊藤和子らが「ヒューマンライツ・ナシ」とかなんとかいう組織を立ち上げて、自分たち以外には「人権ナイ」活動を繰り広げている。
私は彼女らの真意を測りかねていたが、下の写真を見てわかった気がした。
(hrn.or.jp/wpHN/wp-content/uploads/2017/12/DSC07356.jpg.pagespeed.ce.7rszON1tzg.jpg)
男女の身長差ありすぎ。
さらに、「男性」の背の高さは多様。間に女性を挟む配列の妙で、正規分布が表す曲線によく似た曲線が描出した。
対する、「女子」の背の高さは均一! すなわち正規分布からの「偏差」の大きさを示している。この偏差は
「ヒューマンライツ・ナン」に異者を排除する性質を仮定しなければ説明できない程と考えられる。これにより
「ヒューマンライツ・ナチ」の「偏向」を印象付けられてしまった。
上の写真は「ヒューマンナイツ・ノウ」とかなんとかいう組織の「12/14(木) 世界人権デー「今、問われるメディアの独立と報道の自由」」とかいうイベント2017/12/19付の報告から引用したもの。
人の性格には身長差も関わっているという。それも成人の時の身長差ではなく、大人としての人格が形成される11歳ごろの身長差が。
写真には弁護士の伊藤和子と思しき女も写っている。隣にはレイプ犯でセカンドレイプ犯でもある伊藤詩織嬢らしき人。一人飛ばすと望月衣塑子のような人も。
週刊新潮(2019/11/01号)によると、人が不寛容になるのはストレスが溜まっているからだという。新潮なので真偽のほどは定かでは無いが、もっともらしく聞こえる。
「ヒューマンナイツ・No」とかの中心人物の一人は伊藤和子だ。このような人を例にとって考えてみよう。断っておくが、以下は「のような人」であり、伊藤和子を指すものでは無い。
11歳の頃は普通だと思っていた。勉強はできたので、むしろ、優越感を持っていた。
ところが、付き合いの幅が広がると詩織嬢や衣塑子のような美人がいる。悪いことに美人で頭の良い人も。
男どもは巨人ばかりで、中には、狭い範囲の勉強しかできない自分と比べると賢明な人もいる。
溜まったストレスの捌け口は、新潮の記事が示すように虐めだ。無敵のレッテル「人権」を貼った嘘(例えば朝鮮人売春婦)を口実にして反論できない相手を叩きのめす。
「ヒーメンライト(light)」な売春婦を利用して
「ザーメンライツ」を問答無用で叩く。
これがヒューマンライツ・ナウ(HRN)の正体ではないのか。
正論と先生の権威を武器にギスギスしたクラスを作る女子の学級委員長。そういうジェンダーロールを演じていることに伊藤和子は気がついていない。
同時に「女の浅知恵」というジェンダーロールも演じてもいる。
因みに人権弾圧を大々的行ったスターリンは167cm、ヒトラーは172cmで欧州人としては小男の部類。
リンチ殺人の連合赤軍の永田洋子も150cmほどだった。彼女も伊藤和子同様自分に都合よく教条主義を適用した。
(文中敬称略)