立憲民主 お通夜の風景 老人が『書を捨てよ、町へ出』てみたら

寺山修司さんの本に『書を捨てよ、町へ出よう』(芳賀書店 1967)があります。

私が、タイトルから受けるイメージは、本だけから知識を得るのではなく、実社会に飛び込み体験してみよう、学んでみよう、です。未読なので内容と異なるのかもしれません。

 

立憲民主党から立候補して落選した山田厚史落選者(69)という人がいます。この方の経歴がなかなか華麗です。Wikipediaによりますと、

筑波大学附属小学校卒業[2]。同志社大学法学部政治学科卒業後、毎日放送制作局ディレクターを経て、1971年12月朝日新聞社入社。

(略)

1996年からテレビ朝日コメンテーターとして『サンデープロジェクト』や『朝まで生テレビ』などテレビへの出演を開始する」。

 

69才の新人です。有り体に言えば、立憲民主党が、落選者の昔の知名度を利用して、比例の票稼ぎを目当てに立候補させた人でしょう。釣りのこませです。

 

当然、落選、お仲間のお年寄りが集まってのお通夜の会議らしき動画が下です。

 

 

 

1分16秒と短いので見てください。

 

亡者が辻立ちすると、「通勤する人」は目も合わせてくれない、と亡者は嘆いています。

亡者の口調を借りるなら「そりゃそうだ。テメーみたいな粘着貧乏神を、朝っぱらから見たかねーよ。」

 

亡者の年齢は69。退職まで賃金が上がり続け、年金もガッポリ世代です。現役世代から見れば「いい思いしやがって」。

現役世代の福祉を危篤に瀕させかねない既得権益の確保を主張する亡者に、共感する方などいません。

 

亡者「ほとんど、政治はもう知りません、いやです、関係ありませんという顔をした人がゾロゾロ行くわけ。」

すこし飲んだ後、今夜もっと遊びたいと思ってもヨボヨボおじいさんがが客寄せしているホストクラブへ行きますか? 視線を合わせず、急いでますって顔をして通り過ぎます。

 

亡者「一体この人たちに(略)僕が色々普段言っていることを(略)後ろ姿に、こう、投げかけても、なんか虚しいなあっていうね」。

「人」とか「人たち」。有権者に尊敬の念が感じられない言葉です。「方」「方々」でしょう。上から目線です。

せっかく「虚しいなあ」と感じたのに、これが反省の良いきっかけにはなりません。

 

亡者「この、この人たちは、今、何なんだろう。」

亡者は若者たちを疎外しています。疎外している相手の共感は得られません。このことに亡者は気がついていません。

 

(ここでCatNA様の文字起こしが入ります。

元電波芸人だけあって、若者の反感、嫌悪感や困惑をうまく写して真似ています。)

 

亡者「僕たちがここで議論しているのと全く違う世界がそこにある。」

ここで動画は切れます。もしかしたら、我々は遊離していると反省したのかもしれません。右端の両腕を上げた人の雰囲気からは、「世の中間違っとる。昔はこうではなかったのにのお」、怨みの言葉が巻き起こり、彼らのエゴに傷がつくことはないでしょう。