枝野が無能だからだ!「復興加速できなかったのか、じくじたる思い」
立憲民主党の枝野幸男が東日本大震災の復旧復興のスピードについて
「もっと加速できなかったのかというじくじたる思いを抱いている」と述べた(朝日新聞 2019/03/11 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190311-00000072-asahi-pol)。枝野は自分に加速する能力があったと考えているようだ。
この写真を見てみよう。
もしかしたら、頭を下げる/上げる途中かもしれないが、枝野は会釈してるだけで謝ってはいない。忸怩たる思いがある人間の頭の下げ方ではない。普通の身なりの被災者と手袋を外さず握手した写真
(https://snjpn.net/archives/103326)を思い出す。フルアーマー姿の枝野ではなく逆ギレ岡田克也の方かもしれないが、枝野と岡田、大した違いはない。
枝野のフルアーマーを私は必ずしも否定しない。政府の中枢にいる人間は簡単に作動不能になっては困るからだ。
枝野は作動し続ける重要性を理解していた。
では、何故、菅総理(当時)を危険な福島第一原発へ送り出したのだろう。しかも、事故が多いヘリで。スピードを重視したとは言えるのだが。
枝野は権力欲が強く腹黒い人間だと思う。だから、同類の小沢一郎とは肌が合わないように窺える。
もしかしたら、枝野は菅が作動不能になることを夢見たのかもしれない。そうなれば、震災のドサクサに紛れて無血クーデターが達成できた。そうなっていたら、革マル的政治で日本全体を災厄に導けたのだ。
枝野は弁護士だ。弁護士は政治トップには向かないと思う。弁護士は既存システムの粗探しをして条文の隅をつっつき屁理屈をこねる。そもそも、法律は既存のシステムを静的に記述し擁護するものだ。
政治家に求められるものはシステムを作ることだ。だが、既存システムに拘泥してしまう弁護士はシステム作りは苦手だ。
枝野に経済的センスがあれば、復興増税などという緊縮政策は取らなかったろう。経済センスが無いので財務省の口車に乗ってしまった。動的システムを苦手とする弁護士の限界だ。緊縮政策で、枝野は復旧復興を減速させたのだ。
枝野は尊大だ。「鶏頭となるとも牛後になるなかれ」を実践していることから、それは分かる。こういう人の自己評価は高いものだ。しかも、エリートとみなされる(大量生産前の)弁護士だし。
そんな枝野だから、「もっと加速できなかったのかというじくじたる思いを抱いている」と言う。まるで枝野に加速できる能力があるような言い草だ。
訂正しよう。理論的には加速するためにできる手が一つあった。無能な枝野でも実行可能な手であった。
それは、とっとと下野して阪神淡路の経験を持つ自民党に政権を委ねるという手だ。
が、自己評価が高すぎる、えだnonには無理な相談だった。
(文中敬称略)