学術会議任命拒否->学問の(自治ではなく)自由が失われた。ならば当然の帰結は?

世界的には認められていない学者6人が日本のトップクラスの学者が集まる日本学術会議に入ろうとしたが断られた。すると共産党をはじめとする野党やマスゴミは学問の自由が失われたと騒いだ。(ここで注意すべきは学問の自治が失われたと騒いでいない点だ。)

 

これを論理的に考えてみよう。

 

共産党をはじめとする野党やマスゴミの主張は

 

学術会議に入ると学問の自由が得られる

 

だ。

 

ここから論理的に導かれることは

 

学術会議に入っていないと学問の自由は得られない

 

となる。

 

ところで、アメリカの黒人奴隷は自由を求めて奴隷制が廃止されていた自由州へ逃れた。良心的な人は黒人奴隷の逃亡を助けたろう。

 

日本でもそうだったが、投票権は金持ちの男性に与えられた。即ち、貧乏人や女性には政権選択する自由は与えられなかった。良心的な人は投票権の拡大に尽力した。

 

学術会議の話題に戻る。学問の自由が失われたと騒ぐ人々は、学術会議に入っていない、すなわち、学問の自由を得ていない学者のことは、なぜか、考えない。奴隷逃亡や投票権と考え合わせるると、騒ぐ人々は良心的でないと判る。

 

騒ぐ人々が良心的なら、学術会議の門戸開放を主張し、学者の全入を目指すべきなのだ。

 

ところで、何故,学術会議人事の問題は学術会議が決めるとパヨクやパヨク学者は騒がないのだろう。

 

答えは簡単、憲法に「学問の自由」という文言はあるが、「学問の自治」という言葉が入っていないからだ。